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常に戦う準備を怠らないと言うこと。

24歳でバルセロナ五輪・男子柔道71kg級に出場した”古賀稔彦”氏は、現地での後輩・吉田秀彦との練習中に大ケガを負いました。
後輩の吉田秀彦との乱取りの稽古中、畳ではなくマットだったため、背負い投げの瞬間に左足が滑って「ボキッ」と音が鳴り、そのままうずくまりました。診断の結果、左膝内側側副靱帯損傷の重傷、全治2か月。周りの関係者たちは皆落胆し、日本のマスコミはこぞって「出場辞退」「絶体絶命」との見出しで大きく報道しました。
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当時、ニュース映像を見ていて「あぁっ!」と言う声と共に崩れ落ちてしばらく置き上がれない姿は今でも記お気に残っております。
歩くのもままならない状態で試合に挑んだ”古賀選手”でしたが、心配する周囲の心配をよそに、「私自身はそれほどショックはありませんでした。結局試合までの11日間まったく練習できないまま、痛み止めを6本打ってぶっつけ本番で臨みましたが、むしろ普段よりもやる気がみなぎっていました。」と語っています。

それは4年前のソウル五輪での教訓があったからだと言っています。優勝候補だった”古賀選手”はプレッシャーもあり3回戦で敗退し、マスコミからバッシングの嵐に遭い、人に会ったら何か言われるという恐怖心から、外部と接触を断つため大学の施設に篭ってしまったんだそうです。

そんな時にテレビで五輪の柔道番組が放映されて何気なく見ていたら、”古賀選手”が負けた瞬間に周囲に頭を下げている両親の姿が映し出され、自分の愚かさに気付かされたのです。それまでは、負けて一番不幸なのは自分だとずっと錯覚し、周りがまったく見えていなかったのだと。

「それからは自分のことを思ってくれる人たちに恩返しすることを常に心に抱き、嘘のない努力を重ねて練習に励もうと決めました。だからケガした時はショックよりも「これでも絶対に恩返しをするんだ」と闘志がより表に出て、4年間の集大成を見せてやると試合に集中できたのかもしれません。アクシデントがあったほうが雑音や雑念が入ってこず、かえって集中力が研ぎ澄まされるものです。」と。

また、「ケガした後からは、こうすれば勝てるというのではなく、どんな状況でも自分が戦う準備ができているよう、より心がけるようになりました。勝負は生きるか死ぬかの戦いであり、覚悟と勇気を持って臨めるか。そのためには常に戦う準備を怠ってはいけないのです。」とも語っております。
ファイル 3948-2.jpgこの時にそんなことを考え準備していたんですね。
怪我の瞬間、関係者も金メダルを期待していた日本全体も不安だったと思いますが、当の本人はやる気にみなぎっていたと言うんですから凄いですよね。また、”古賀選手”が学んだ「柔道私塾講道学舎」の人たちは怪我をしたと聞いて「これで”金メダル”が獲れる!!」と確信したと言っていました。なぜか?「油断しないで集中できるから」と。(これも凄い)

やはり日頃の猛練習と努力は裏切らないんですよね。

追記 なので、日頃から”努力と工夫”真摯に仕事と向き合い、必ず行動した以上の
ことが帰って来るんですよね。
そうだ、”古賀選手”はこんなことも思ったそうです。
「片足が無くなったくらいで負けるような練習はしてきてない!!」と。(ヤバイよね)
ファイル 3948-3.jpg判定で見事に金メダルを獲りました!!
と言うことで、本日15時から”radio”だよ~ん!!(笑)

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