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やったほどのことは必ず自分に返ってくる。

私は貧しい農家の子として生まれました。
きょうだいは6人いて私は4番目。
父は大酒飲みで、たくさん晩酌をしていました。
私が小学4年生の時だったか、
父が酒を飲んで分からんようになって帰ってきて、
しばらくして玄関で目を醒ました時に、
「百姓は貧乏じゃ。なんぼ働いても貧乏じゃ。
だから頼むけん、おまえはこれから心を入れ替えて
勉強して学校の先生になれ。
おまえは勉強したら先生になれる」
と泣きながらそう言うんです。
それで私は頑張って学校の先生になろうと思いました。

高校3年生の時、担任だった国語の先生が
「いまは女性の体育教師が不足しとるから、
大学に行って体育教師の資格を取れ」と。
だけど、私は学校の授業で一番苦手なのが体育だったの。
体育さえなかったら、
高校生活はパラダイスだと思っていたんです(笑)。
そうしたらその先生が
「おまえが体育が苦手なのは分かっとる。
だけど、体育が苦手な人間が先生になれば、
体育が苦手な生徒を全部好きになれる。
得意な教科の教員になると、苦手な生徒の心が見えん。
嫌いな科目の先生になることが
立派な教師になる秘訣だ」とおっしゃる。

船乗りになった兄が幸いにも学費を用立ててくれて、
東京の日本女子体育短期大学(現在の日本女子体育大学)に
進むことができました。
1年生の時は「あなたは体育ができんから、
荷物をまとめて帰りなさい」
と何回も言われました。
でも不思議ですね。「負けてなるか」と朝4時に起きて
誰もいない体育館でバレーボールやバスケットボール、
跳び箱などの練習をしていると、
6か月で皆から褒められる学生になったんです。
不可能は可能になるものなんですよ。
これは命懸けでやってみないことには分からない。

最初に勤めたのは東京の田園調布の中学校でした。
いまでは考えられませんが、
60年以上前の田園調布には
金持ちの子と貧しい家の子の両方がいて、
私は貧しい子供たちのためにおにぎりを持って通勤していました。
教室で皆がお昼ご飯を食べる時、
一人の男の子がじっと下を向いている。
「あんた、先生のご飯食べてくれる? 
先生はお昼ご飯は苦手なの。
恥ずかしかったらトイレで食べてもいいよ」
とそっとおにぎりを渡すと、
「いいんですか」と言って1人でトイレで食べていました。
12、3歳の子というのはものすごくお腹が空くんです。

その子とは東京でたった1年間の出会いだったんです。
その子がいまも年に1回は千葉から愛媛に遊びに来ますよ。
「先生が僕を一人前にしてくれた」と言って。
人間はね、自分が欲さえ持たなかったら、
やったほどのことは必ず自分に返ってくる。

だから、どうか「こんなことをして何になるだろう」
などとは思わないで、
誰かのために何かやっていただきたい。
それが一番の願いですね。

このような話も、それ以外にも為になる話が多く載っています。
★『致知』最新号「命いっぱいに生きる」。
内容はこちらから⇒ https://www.chichi.co.jp/info/month/

追記 欽ちゃん本店は通常営業をしていますので、よろしくお願いします!!今週のラジオの「昭和・平成の忘れもの」のテーマは「ゲーム」なんですけど、きっと皆さんはファミコンやらですけど、実はあたくしそのようなゲームが全く得意ではないんですね。
その昔流行ったゲームセンターのゲームも芦別レジャーランドにあったモグラ叩きなんかも。双六とか単純にルーレットやサイコロ目だけ進むとかなら出来ましたけど・・・・・。

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