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札幌の感触がね。そして”原点”のお話し。

時は1985年4月、殆ど芦別から出ることのなかった18歳が社会人としてのスタートを
切るために就職先のある札幌市東区北32条東5丁目に居ました。
最初の一年間は会社に併設してある寮暮らしです。
入社式の2日前ほどに来たので、会社・寮の周辺をぶらぶらと。

東区、しかも36年前なので芦別よりも都会ですが、中央区のようにビルやすすき野のような
きらびやかな雰囲気ではなかったですが、明らかに人も車も量が違う。
そして、今まで育って来た場所との”感触”が違う。
”におい”と言うか、それまでそこで育んできた”仕組み”なのか。
歩きながら「これからやって行けるんだろうか?やって行くしかないんだよな。」と不安と諦めを
考えながらあてもなく、しかも土地勘がイマイチ分からないので、ほんの一丁角か二丁角しか
散策もできなく。(笑)

今にして思えば何の変哲もない会社や店の名前を見ては「へ~、札幌はこんな会社や店が
あるんだな~」って、別に芦別にでもどこにでもあるのに、札幌に来たばかりなので新鮮に感じ、
そして先端に感じていたんですね。(もろ、田舎もん)
そんな世間知らずの田舎もんも、50代も半ばで当時の仕事からは正反対の位置に居ます。
これから36年前のあたくしように地方から札幌へ出て来た田舎もん”(笑)たちが
寂しい思いや悔しさや辛いこと、そして楽しいこと、出会いと別れを
めいいっぱい身体全身で受け止めて、そして一丁前になって行くんですよね。

ひとりひとりのとても大切な人生になるので、何かの縁で出会ったのならば微力ながら
力になれればと思います・・・・・。

追記 ”丸か”を通してスタッフとして働いたり、お客さんとしてでも多くの人と出会いたいと思います。両親と芦別駅から汽車に乗り、住んでいた家と母校とグランドが見えて過ぎていく光景が今でも覚えています。
”おやじとおふくろ”と一緒に寮へ来て、寮長の”曽根さん”に深々と挨拶をしていた二人の姿を今でも忘れません。

そう言えば、あたくしが就職した先の国際技研(株)は現在、娘さんが社長のようです。

原点のお話しでした。。。。。
ファイル 4054-1.jpg「ザ・昭和!!」鉄筋屋と一緒の寮でした。今でも連絡取れるのは右手前の”あっき”だけ。
ファイル 4054-2.jpg1986年、青森側から入っての青函トンネル内で。
皆、汽車で来たのさ。(優しい歌だよね)

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