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ポンプ車の思い出。。。。。

1987年、今から23年前の今ごろ、アルバイト探していたあたくしは
友達の奥さんから「生コン打設」の仕事を紹介してもらいました。

「生コン打設」とはビルや家の梁欽(はりきん)の上に”コンクリートを
流し込む仕事です。

生コンクリート(生コン)をミキサー車から受け取り、それをその日の状態で
水で硬くしたり、軟らかくして”ポンプ車”で流し込むのです。
ミキサー車↓
ファイル 651-1.jpg

暑かった。


辛かった。

痛かった。

暑くて、辛くて、痛かった。。。。。

”ポンプ車”からホースを伝って勢いよく流れ出す、生コンを両腕で抱え
腰を落とした膝で支えながら、床や梁の間にコンクリートをバランスよく
流し込むのですが、

いかんせん暑くてかなり体力の消耗が激しく、しかも二日酔い。。。。。
ザッツ!脱水症状になりかけたのは一度や二度ではなく、
その都度、一緒にコンビを組んでいた”安達のおじさん”に迷惑をかけてばかりだった。
(なら、せめて飲みすぎるなよ)

あたくし”もちはだ”のせいか、皮膚が弱くて”つなぎの作業服”を着ていても
生コンが浸透してしまい、その為に手や腕、太ももがただれてしまい、
暑くて、二日酔いで、辛いうえに、痛くて、そんな自分に腹を立てて
何度か仕事を放棄しかけた時もあり、その都度にコンビの”安達のおじさん”や
現場の型枠大工さんなどが代わってくれたものです。(サイテー!)

なぜか、その頃の?あたくしは常にイライラしており、
よく現場で他の作業員の人とトラブルを起こしたり、コンビの”安達おじさん”と
険悪なムードになったりで、朝から一言も話さなかったりしてで
本当に生意気なクソガキでした。

もし、いまそのようなクソガキがいたなら、あたくしは間違いなく
第二間接まで”浣腸”してやりますけどね・・・・・。

でも、数ヶ月間でしたが、”安達のおじさん”には本当に良くして貰いましたし、
現場でコンビを組む型枠大工さんたちにも色々なことを教えて
頂き感謝しています。

なので、車ですれ違ったり、歩いていて見かけると23年前の
あの暑くて、辛くて、痛かったけど、お世話になった人たちのことを
思い出すのです。

そういえば、ミキサー車に乗っている周りからは”ペコちゃん”というあだ名の
いつも舌を”ペコちゃん”のように出しているおじさんがいましたが、
ある日、ポンプ車に乗って現場へ行く時に”安達のおじさん”が

「ペコちゃんなぁ、夕べ会社へ帰ってミキサー車を清掃中に
巻き込まれて死んじゃったんだよ。」と言いました。

「えっ!?だって、昨日の現場に居ましたよね?」
「あぁ。人間、先のことはわかんない物だよな」と言って、ハンドルを握ったまま
前を向いたまま無言に。

その姿を見て、なぜかあたくしも黙って前を向いていて、
結局、約1時間2人は無言で前だけを見てた記憶があります。。。。。

”安達のおじさん”元気かな~、
一度、仕事が終わって家に呼ばれてご飯とお酒をご馳走になりして、本当にお世話になりました。

旨かったな~、あの時飲んだビッグサイズのサントリーレッドのお・ゆ・わ・り。。。。。
ポンプ車↓
ファイル 651-2.jpg


そうだ、
ファイル 651-3.jpg
です・・・・・。

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