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想い出の店。

昨日、久しぶりに”上海月(シャンハイムーン)”のことを書いて
思い出したというか、先日久日ぶりに行った店があるのですが、
そこはススキノで50年以上営業している”君町”という、おでんと
かすべの煮こごりの美味しい店です。

そこへ行っていたのは、まだ”上海月”がそれほど忙しくない初期の
頃で、朝までやっていたのでちょくちょく”細B”や他のスタッフ達と
顔を出しました。

おかあさんとたまに手伝いの女性の方と2人でやっておられました。
あたくしたちが行く時間は午前2時頃なのですが、お客さんが
いない時は決まっておかあさんはカウンターの壁側のベンチシートの
椅子で寝ていて、「こんにちは!」と元気よく入ると「よいしょ」と
起きだすのです。

で、何度か行くうちに色々な話をしてくれるようになり、と言うか
あたくしたちが聞いていたのですけどね。

「おかあさんススキノは何年になるんですか?」
「52年」
「・・・・・ごめんなさい。」と、あたくし「52年」と聞いてなぜだか
思わず謝っておりました。

当時あたくしは31歳で、飲食業経験は9年くらい。
勢いのある会社だ、ススキノに何十店舗もやっているという
多少の自負心のあったあたくしは、「52年」としかもサラッという
目の前の”おかさん”に対して、いい気になっていた青二才のあたくしが
恥ずかしくなったものです。。。。。

歳を聞くと85だか86歳とのこと。
何でも30歳過ぎから色々とありススキノで働いたと。

永年、ススキノで朝までやっていただけあり、時々なじみの
スナックのママさんなどが来ていたり、アフターでお客さんと来て
小上がりにあるカラオケなんかで盛り上がっているお店でした。

で、久しく行っていなく、でもよく”細B”とは「君町のおかあさん元気かな~?」
「いや、もういくらなんでも死んでるだろ?だってよ、生きていたら100歳
くらいだぞ?金さん銀さんじゃないんだから。」
「あそこの”かすべの煮こごり”美味しかったですね~。」
「うん。」

などと会話をしていたのですが、先日ついに行く機会がありまして、
のぞいて見ると、カウンターに見知らぬ年の頃で言うと60過ぎの
男性が一人。(って言うか、男性からしたらあたくしたちが見知らない)

「まだ大丈夫ですか?」
「どうぞ。」
「ビールお願いします。」
「はい。」

「あの~、ここ昔おかあさんやっていませんでした?」
「あっ、はい。私の母です。」
「あ~っ!そうですか!?で、おかあさんはお元気ですか?」
「10年前に。」
「あっ、そうですか~・・・・・。」

「何時までですか?」
「十一時半です。」
「おでんいいですか?」
「どうぞ。」
「あの~、おかさんの”カスベ”好きだったんですがありますか?」
「ありますよ。」
「じゃあ、下さい。」

おでんも”カスベ”も美味しかったです。
人間の記憶なんて曖昧なものなので、「きっとこんな味だったよな~」と
思いながら懐かしんで食べました。

何でも息子さんはまったく違う仕事をしていたのですが、
おかさんが具合が悪くなっても「お客さんが待っているから。」と言って、
言うことを聞かなかったらしく、それでしょうがなく畑違いだった息子さんが
手伝うことになって今に至ると。

息子さんが継いだ当時は朝までやっていたそうですが、
「時代なんですかね~。朝までやっていてもね~」と。

確かに、一時ススキノはヘルス、キャバクラ、ニュークラなどができて
昔ながらのクラブやスナックはここ12,3年ほど壊滅的な打撃をこうむり
半分以上が店を辞めております。。。。。

しばらく、懐かしい話をして店をあとにしました。
あたくし自身も現在は拠点をススキノから移しているので分かるのですが、
こんな所にもススキノの”栄華衰退”を見る思いでした。。。。。

おかさんは年に一度の旅行が楽しみだと言っており、友達たちと行った
旅先のアルバムを、楽しそうに見せてくれてもいました。

おかさんは今ごろ自由に旅しているだろうな~・・・・・。

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また行こっと。

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