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時代を超え薄型を支えた超ロングセラー機

今ある機械式ムーブメントの基本構造は18世紀のなか頃、フランス人時計師ジャン=アントワーヌ・レピーヌ(Jean-Antoine Lépine)によって考案された。ムーブメントを劇的に薄くした大発明である。薄型キャリバーの元祖を作り上げた彼は巻き上げシステムの延長上に4番車を配置する設計をひとつのスタンダードとした。今でいうレピーヌキャリバーだ。1925年に誕生したフレデリック・ピゲのCal.21は、おそらくこれにならった最初期の腕時計用薄型ムーブメントのひとつだ。直径20.4mm、厚さはわずか1.74mm。誕生から21年にわたり最薄を誇った腕時計用エクストラフラットの始祖は、2番車がセンター、4番車がリューズの巻き芯の延長上、正確には少しずれた8時50分位置にあるレピーヌ構造。当時は(もしかしたら今も)9時位置のスモールセコンドは異質だったことから2針となった。極薄ながら42時間のパワーリザーブを持ち、多くの時計ブランドに供給され、世界恐慌や第2次世界大戦、クォーツショックも生きながらえ、2000年代初頭まで作り続けられた傑作だ。今でもネット上で販売されているCal.21のさまざまなパーツを見ると、地板は香箱部分がギリギリまで掘り下げられ、収める主ゼンマイ量を稼いでいるとわかる。今回の企画に際し、これまでいくつもの時計ブランドと関わり、ヴィンテージウォッチにも造詣が深いNAOYA HIDA & Co.の飛田直哉氏に取材協力を得た。彼のコメントを交えつつCal.21の歴史と魅力を振り返る。彼はCal.21について「パワーリザーブは40時間という資料も見受けられます。振動数は初期では1万8000振動/時で、のちに2万1600振動/時となり、チラネジテンプとスムーステンプもあり、地板とブリッジにロジウムメッキや金メッキがあるなど、Cal.21には多くの仕様違いが存在しています」と語った。

上の写真の3つのキャリバーは一例だ。パネライスーパーコピー代引き優良サイト左側の上下ふたつはコート・ド・ジュネーブの向きや香箱の仕上げが異なり、上は17石、下は18石。右側のオメガのCal.700は銅ガルバニックが施され、中央ブリッジの形状もほかとは異なる。オメガのCal.700のようにオリジナルのキャリバー名を付けている例は多い。パテック フィリップのCal.175とCal.177、ロンジンのCal.310、サーチナのCal.20-10など。意外なところではIWCがCal.171の名で、ロレックスもCal.650の名でCal.21を用いていた。また、ブランパンとカルティエはCal.21の名のまま使ったが、ブリッジにはそれぞれのブランド名が入っている。

「ほかにも私が知る限りでは、エベルやユリス・ナルダン、ブレゲ、ショパール、デラノ、コルムなどにCal.21ベースのムーブメントを搭載した例が存在していました。おそらくですが、パテック フィリップなど一部の上位ブランドは別として、多くはフレデリック・ピゲが各ブランドの仕様に合わせた完成品として収めていたと思われます」と飛田氏が語るように、納品先が望む仕上げや装飾に対応できる技術と設備を有していたことがフレデリック・ピゲの強みだ。同時にCal.21はエボーシュとしても供給され、さまざまなバリエーションを生んだ。なかでも別格は、飛田氏も挙げていたパテック フィリップのCal.175と177である。パテック フィリップの公式資料によれば、Cal.175が導入されたのは1963年。テンプはジャイロマックスによるフリースプラングに改められていた。またブリッジの面取りは深く、コート・ド・ジュネーブも幅広で優れた審美性をたたえ、むろんジュネーブ・シールを取得している。これらの改良のためであろうか? オリジナルより0.01mm厚い1.75mm厚となっていた。Cal.177は1977年に登場。Cal.175よりさらに0.02mm厚い1.77mm厚で、各キャリバー名はこの厚さに由来しているようだ。両者最大の違いは振動数である。Cal.175は1万8000振動/時、Cal.177は2万1600振動/時だ。飛田氏が前述したようにCal.21の2万1600振動/時仕様は他社にも存在する。振動数がいつ変わったかがわかる資料は発見できなかったが、Cal.177の導入よりそれほど遠くない以前にハイビート化されたと予測できる。またCal.177にはスケルトン仕様のCal.177 SQUも存在し、2020年にはスロバキアのモルナー・ファブリー(Molnar Fabry)が、Cal.21のニューオールドストックを用いた美しいスケルトンウォッチを製作している。すなわちCal.21は、スケルトナイズできる頑強さもあわせ持っていたことになる。一方で飛田氏は、「これほどバリエーションが多いにもかかわらず、Cal.21にモジュールを搭載していた例を私は知りません。なぜ複雑機構のベースムーブメントとして使われてこなかったのかは謎です」と、疑問を呈する。

Cal.21は2針ムーブメントとして100年近い寿命をまっとうした。しかし誕生初期には注目されていなかったようだ。パテック フィリップが導入したのは1963年。ロレックスは諸説あるが1953年ごろ、カルティエが使いはじめたのも、おそらく1970年代に入ってからだ。なぜ彼らは極薄キャリバーを求めたのか? 1950〜60年代は時計デザインの大きな転換期。特に第2次世界大戦で勝利し、経済的に繁栄したアメリカでは豪華で華やかな時計がもてはやされた。そして丸型、角型だけにとどまらない、さまざまなケースフォルムを各ブランドが試みた。これがCal.21の需要が膨れ上がった要因だ。なぜならムーブメントが薄ければ薄いほど、ケースフォルムの自由度が高まるからだ。1950〜60年代当時、Cal.21に比肩する薄型ムーブメントは存在した。しかし他社に十二分に供給可能な極薄ムーブメントはCal.21しかなかったのだ。

「設計に無理がなく、パワーリザーブも十分で、フレデリック・ピゲは量産と仕様変更にも対応できた。だからCal.21は多用された」というのが飛田氏の見解だが、まったく同意である。1.74mm厚の極薄キャリバーを手にしたデザイナーは創造の翼を自由に広げた。ジェラルド・ジェンタも、そのひとりだ。彼はロレックスのためにCal.21ベースのCal.650を搭載した、飛田氏が「狂気的」と表現するキング・マイダスを創造。またエベルにもCal.21搭載のジェンタデザインがあったことを彼は発見している。

時計デザイン狂乱の時代は長くは続かず、1970年代にCal.21を導入したカルティエは本来の目的であるエレガントなエクストラフラットをかなえるべくタンクやサントスに搭載した。そして1983年、フレデリック・ピゲは当時オメガを率いていたジャン-クロード・ビバー氏とともにブランパンの再興に着手。その頃、テンプの耐衝撃装置がアップデートされたCal.21は、ブランパンのシックス・マスターピースの一翼を担うウルトラスリムを支える存在となった。そんな名機も、ハイビートが当たり前となり、ケースの大型化が進み、2000年代初頭には後進に道を譲ることとなった。とはいえ、これほどの長寿をまっとうしたキャリバーはほかに例がなく、その事実こそがCal.21の設計の優秀さの証しである。

カルティエ Cal.21

薄くフラットな角型ケースには、極薄のCal.21がまさに似合う。

角型ケースにきっちりと収まるCal.21は、テンプの耐衝撃装置が進化した最終形。1980年代製。

カルティエの、そして角型時計の永遠のアイコンであるタンクは、誕生時からルクルト製ムーブメントを用いてきたことは、よく知られている。フランコ・コロニー(Franco Cologni)著の『CARTIER The Tank Watch Timeless Style』に掲載される歴代タンクの多くに“ルクルト製ムーブメント”と明記されるなか、1970年代以降のモデルでは“ラウンド型ムーブメント”となっているケースが増えてきている。おそらくこれらのなかのいくつかがCal.21であったのだろう。これはCal.21搭載のタンクルイカルティエで、製造は1990年代。同じく角型ケースにして腕時計の始祖をルーツとするサントス-デュモンにも、1970年代から90年代までCal.21搭載モデルが存在していた。カルティエはCal.21の晩年を支えたブランドのひとつだった。

パテック フィリップ Cal.175

1970年代製のRef.3523。クッション型ケースの幅は28mm。

18石仕様がベースで、テンプは4つのリムを持つジャイロマックス。

前述のとおり、パテック フィリップはフレデリック・ピゲからCal.21のエボーシュの供給を受けて、自社でチューニングと装飾仕上げを施したCal.175を1963年から、2万1600振動/時仕様のCal.177を1977年から用いてきた。Cal.21ベースのムーブメントは数多いがジュネーブ・シールを取得したのは、これらのふたつだけだ。さまざまなフォルムが模索されていた1960年代に誕生したクッション型のRef.3523はCal.175搭載モデルのひとつで、1970年代まで作られていたほか、Cal.175はクル・ド・パリベゼルで知られるRef.3520やスクエア型のRef.3503などが搭載。Cal.177になってからもRef.3520に継続して使われ、1980年代には地板とブリッジをスケルトナイズし、ハンドエングレービングしたCal.177 SQUが誕生した。

ゼニス Cal.53.5(Cal.2020)

クロックにも似た個性的なフォルムは、1970年代に生まれた。

極薄キャリバーが、ケースのデザインの自由度を高めた典型例だ。

ダイヤルは12時位置にモバード、6時位置にゼニスの名があるダブルネームであるが、ムーブメントのブリッジにはゼニスのロゴだけが刻まれるCal.53.5搭載モデルである。ところが2008年に刊行されたゼニスの歴史をまとめた『Zenith:Swiss Watch Manufacture Since 1865』のムーブメント&キャリバー表には、53.5の名が見つからない。さらに表を詳細に見たところ、2020の名でCal.21と同じサイズと厚みのムーブメントを発見した。サード・パーティ・プロダクトとしてF.ピゲ社の名も記載されている。これが本来のゼニスが供給を受けたCal.21であり、Cal.53.5はモバード向けだったのだろう。同じく表には1万8000振動/時、18石と記載されているが、上の写真のCal.53.5には17石と刻印されている。

Cal.21のあとを追い、レピーヌキャリバー様式を受け継ぐ
1925年当時、懐中時計用も含めればCal.21より薄いムーブメントは複数存在していた。ジャガー・ルクルトは1907年に1.38mm厚のムーブメントを生み出しており、1921年(1925年説もある)にはオーデマ ピゲがさらに薄い1.32mm厚を実現している。フレデリック・ピゲに腕時計用のエクストラフラットキャリバー開発で後塵を拝したオーデマ ピゲは1946年、Cal.21の1.73mm厚をしのぐ1.64mm厚のCal.9MLを完成させた。懐中時計用でレピーヌキャリバーを継承していたからだろうか、Cal.9MLは図らずもCal.21と同じく2番車が中央、4番車が9時位置にある設計となっていた。振動数も初期のCal.21と同じ1万8000振動/時で、パワーリザーブはわずかに及ばぬ36時間。香箱部分の地板を完全にくりぬいた吊り下げ式とすることで、厚みを削っている。各可動パーツに個別のブリッジが与えられたクラシカルで美しい極薄キャリバーは1953年までのあいだ、772個が製作された。そのなかには、本物の金貨に収められたものもあったという。

Cal.9MLが役目を終えたのは、新たな極薄Cal.2003が完成したからだ。開発にはジャガー・ルクルトとヴァシュロン・コンスタンタンも関与。エボーシュ製造はジャガー・ルクルトが担い、Cal.803をベースとしてまずオーデマ ピゲがCal.2003の名で2年間独占使用し、1955年からヴァシュロン・コンスタンタンがCal.1003の名でラインナップに加えた。オーデマ ピゲが独占使用できたのはCal.9MLの基本設計を流用したからだ。直径20.8mm、厚さ1.64mmのサイズはCal.9MLと同じ。違いはブリッジの数で、剛性を高めるために2〜4番車までをひとつのブリッジとしたため、外観はCal.21に似ることとなった。またレピーヌ構造も共通であり、直径が近いこともあって、Cal.2003とCal.1003はCal.21のフォロワーとも言われる。しかしCal.2003もCal.1003も他社に供給されることはなく、ジャガー・ルクルトのCal.803はあくまでエボーシュであり、自社製品にすら使われることはなかった。Cal.2003は、その名に合わせたように2003年ごろまで使われた。一方のヴァシュロン・コンスタンタンのCal.1003はエボーシュを製造するジャガー・ルクルトが同じグループ傘下であるためか、今もカタログにその名を残し、ヒストリーク・エクストラフラット 1955に搭載されている。

タグ・ホイヤーは、世界で最も認知された時計ブランドのひとつである。

しかし、長年にわたって時計愛好家から見放されてきた。その流れが今年、直径39mmのタグ・ホイヤー カレラ “グラスボックス”が発表されたことを機に変わったかもしれない。そのことは、ここ数年で最高のタグ・ホイヤーとさえ呼ばれていることからもわかる。長年カレラを愛用者してきた私(ヴィンテージのカレラを数本所有)としては、かねてから実際に賞賛に値するのかどうか1週間着用してみたいと思っていた。

表面的には、タグ・ホイヤースーパーコピー時計 代引きの伝統をやりすぎ感なく受け継いだ、程よいサイズのモダンな時計に見える。しかし、私はこのカレラ グラスボックスが一体何なのか、そしてタグ・ホイヤーの方向性にとってどのような意味を持つのか、さらに深く掘り下げてみたいと思った。タグ・ホイヤー カレラ グラスボックスの39mm、ブラックの新作とともに、A Week On The Wristをお届けしよう。

ホイヤーが、カレラを発表したのは1963年のことだ。60年代に製造された手巻き式の初代カレラは、私のお気に入りのクロノグラフのひとつである。ジェームズ・ステイシーの言葉を借りれば、1本筋の通った純粋なクロノグラフであり、それ以上でもそれ以下でもない。

ジャック・ホイヤーはカレラをデザインし、伝説的なレース“カレラ パナメリカーナ”にちなんでこのモデルを名付けた。彼が我々に説明してくれたように、この時計は最大限の視認性を念頭に置いてデザインされた。外側の目盛(アウタースケール)の長さや太さに至るまで、すべてにおいて視認性が優先されている(詳しい説明はリンク先の動画をご覧いただきたいが、“3分の1ルール”がその肝となっている)。ホイヤーはまた、風防を固定し、防水性を高める小さな外側のリング、テンションリングの使用権を獲得したばかりだった。つまり、ホイヤーはクロノグラフのアウタースケールをテンションリングに加えたことで、大きくてすっきりとしたダイヤルを実現することができたのである。

カレラは、同時代のモデル、すなわちオメガ スピードマスター、さらにはロレックス デイトナと多くの共通点があった。デイトナとカレラはともにバルジュー72を採用し、ダイヤルはシンガー社製であった。これは3レジスターのレイアウト、アワーマーカー、フォントが似ていることに起因する。よく見ると、これらのディテールの一部はグラスボックスにも採用されている。カレラは常に私のお気に入りだ。デザインはすっきりしているし、選びきれないほどバラエティに富んでいるし、ホイヤーのカーレースとの結びつきは実に深い。

おそらく最も重要なのは、これらのヴィンテージカレラが、ロレックスやオメガの同種のモデルよりもはるかに手頃であるということだ。ジェフ・スタイン氏がOn the Dashで正確に解説しているように、聖杯ともいうべきカレラは何本かある。インディアナポリスでインディ500を観戦しながら育った私としては、スピードウェイの翼と車輪のロゴが入ったホイヤーは個人的なお気に入りだ。しかし、このような傑作でさえ、オークションの開催日によっては5万ドル(日本円で約750万円)かそれ以上にはならない。まともなヴィンテージデイトナをその値段で探すことは不可能だろう。私は何年ものあいだ、ヴィンテージカレラを何本か所有してきたが、今でもお気に入りのヴィンテージウォッチのひとつである。直径36mmのケースはコンパクトだが、ポリッシュ仕上げの長いラグが手首に独特のエレガントな存在感を与えてくれる。タグ・ホイヤーが現代のカレラでこのバランスを再現するのを待ち望んでいたことは言うまでもない。

カレラという名は60年代に遡るが、タグ・ホイヤーは2015年に“グラスボックス”を発表した。39mmケースの新しいドーム型サファイアクリスタル風防は、あのヴィンテージカレラのドーム型プラスチック風防を思い起こさせるデザインだった。2015年から2023年まで、ホイヤーは39mmのグラスボックスケースを8つのリファレンスに使用したが、それらはあくまで限定モデルだった(ダートとスキッパーのふたつはHODINKEE限定モデルだった)。6時位置の“Heuer”のみのロゴが示すように、これらは通常、歴史的なデザインを直接参照したものであった。これらの限定モデルには、ちょっとしたバグも共通して存在した。真正面から見るとタキメーターが見えにくいのだ。だが、安心して欲しい。今回は違う。

カレラ誕生60周年にあたる2023年、タグ・ホイヤーは第2世代の39mmグラスボックスを発表した。最も重要なのは、第1世代のグラスボックスとは異なり、限定モデルではなく通常生産モデルであるということだ。

スペックシート
tag heuer carrera glassbox 39mm
私の16cmの手首に装着されたカレラ グラスボックス。

アップデートされたタグ・ホイヤー カレラ“グラスボックス”は、直径39mm、ラグからラグまでの全長は46mm、厚さ14mmだ。ベゼルレス構造で、グラスボックスの風防はミドルケースに直接はめ込まれている。ラグはポリッシュ仕上げ、ミドルケースはサテン仕上げが織りなしている。このサイズ感は装着感のよさに直結しているのだが、欠点がないわけではない(それについては後述する)。ダイヤルは窪んだ形状で、アウタースケールはダイヤルのスロープのかかった部分に、数字は上部に配置されている。これは特に斜めから見ると、ドーム型風防を埋め尽くすような視覚効果をもたらしている。空白部分をどうするかという“課題”に対するグラスボックスのデザインが提起した奇想天外な解ではあるが、1週間を通じて私を圧倒的に魅了した特徴である。これまでのグラスボックスダイヤルのいずれとも異なるが、初代カレラに3D効果を与えたオリジナルのリテンションリングを現代風にアレンジしたように感じられる。一般的なテーマとして、タグ・ホイヤーは新しいグラスボックスのために伝統的なインスピレーションをふんだんに取り入れたものの、やり過ぎ感はいささかも覗かせていない。

グラスボックスのスロープ状ダイヤルは、私がほかの時計で見たことのない類のものだ。

ブラックのカレラ グラスボックスは、快適なパッド入りレザーストラップを装着し、パンチング加工が施され、昔のレーシングストラップを思い起こさせるものだ。ストラップは20mmから18mmへとテーパードがかかっており、ダブルセーフティプッシュボタン付きフォールディングクラスプで取り付けられている。パッドが入って厚みがあるため、フォールディングクラスプに通すのは少し難しいが、歯間フロスを扱える程度の器用さがあれば、このクラスプのサイズを調整することは可能だ。ストラップはカレラのレースのコスプレ感をわずかに感じさせるものの、それはそれでいい。時計、特にヴィンテージウォッチというものは、とにかくコスプレ的要素に溢れたものなのだから。

ブルーダイヤルのカレラは、よりモダンな雰囲気がある。

私はブラックダイヤルを選んで1週間を過ごしたが、よりモダンな印象のブルーダイヤルもある。ブルーダイヤルを好む人(ダニー・ミルトンと読み替えて欲しい)がいるのはわかるが、私は6時位置のデイト窓に割って入るスモールセコンドがどうしても好きになれなかった。

ブラックダイヤルバージョンは、ホイヤーの伝統からさらに多くのヒントを得ており、Ref.2447NST直系のブラックダイヤルとシルバーインダイヤルを備えた逆パンダ仕様となっている。針とアプライドアワーマーカーの上の夜光プロットには“フォティーナ(フェイク・パティーナ)”風夜光が塗布されている。私はこの夜光塗料の控えめさに違和感を覚えなかった。針の中央にはブラックストライプが走っているのは、視認性を高めるために同様の加飾が追加された初代カレラの第2世代を思い起こさせる。インダイヤルは、シンガー社が製造した初代カレラのダイヤルをほうふつとさせるフォントと相まって高度に再現されている。

厚さは14mmだが、約3mmは“グラスボックス”風防によるものだ。

もちろん、デイト窓の配置についても触れなければならない。デイト窓は12時位置にあり、ダイヤルのほかの部分と比較的うまく調和している。しかし、それゆえにクロノグラフ針が帰零すると、デイト窓が部分的に遮られ、読みづらくなるのである。もしデイト窓をあまり好まないのであれば、これを逆にポジティブに捉え、この時計を実質デイト窓なしのモデルとして解釈することもできよう。批判的な(そしてより現実的な)見方としては、基本的にデザイン上の欠陥というものだ。

おもしろいことに、ホイヤーは60年代にダート Ref.3147で初めてカレラにデイト窓を採用した際、同じように12時位置の上に配置した。ホイヤーはすぐにこの視認性の欠陥に気づき、デイト窓を9時位置に移動させ、愛好家たちに愛され、スキッパーとダートのHODINKEE限定モデルのインスピレーションとなった、現在のダートを作り上げたのである。時には、過去の失敗から学び漏らすこともある。

先代の39mmグラスボックスには、古い“Heuer”のロゴが使用されていたが、新世代のグラスボックスにモダンな“TAG Heuer”ロゴが入っているのを見たときは嬉しかった。これはヘリテージモデルではなく、初代カレラを徹底的に現代的にアレンジしたものだ。タグ・ホイヤーが作るべくして作った時計なのだ。タグ・ホイヤーは40年近い歴史を持つ。一方では、プラズマ・トゥールビヨンのような最先端の時計(タグはアヴァンギャルドの頭文字から構成される)を製作し、他方では、限定モデルのヘリテージ・リメイクで時計愛好家を満足させようとしている。カレラ グラスボックスは、タグのこのふたつの側面のバランスを見事に取っている(マリオカートとのコラボレーションが、なぜか私にも同じように響いたことを認めよう。なぜなら、タグがレースの伝統というものをもっと気楽に捉えていることを示しているからだ)。

完璧ではないが、カレラ グラスボックスはタグ・ホイヤーにとって正しい方向への大きな1歩である。これまでのグラスボックス限定モデルの成功をもとに、現代の消費者にふさわしいカレラ グラスボックスを作り上げたのだ。

「私たちは、(これらの時計が)ヴィンテージモデルの復刻版とみなされていることで、可能性が狭められていると感じていました」と、ブランドCEOのフレデリック・アルノー氏は、今年初めに新しいグラスボックスを発表した際に、初代グラスボックスについて語った。「このモデルを現代らしい時計にするために、どのように進化し続けることができるだろうか? と自問自答したのです」

カレラ グラスボックスのCal.TH20-00は、コラムホイール式クロノグラフと垂直クラッチを備えている。

カレラ グラスボックスの内部には、自社製キャリバーTH20-00が搭載されている。2万8800振動/時(4Hz)の振動数と80時間のパワーリザーブを誇る、素晴らしい自動巻きクロノグラフムーブメントだ。この点については競合モデルのセクションで説明するが、このムーブメントはクラス最高のものであり、この価格帯では比類のないものである。Cal.TH20-00は、タグ・ホイヤーが2017年に発表したキャリバーホイヤー02の次世代型ムーブメントである。コラムホイールと垂直クラッチ機構を備え、まさに高級自社製クロノグラフムーブメントに求められる機能を備えている。ムーブメントはシースルーケースバック越しに眺めることができる。このムーブメントに施された工業的な仕上げはともかく、コラムホイール(クロノグラフ機構のオン/オフを担うパーツ)が作動しているのを眺めるのは、いつ見ても楽しいものだ。

垂直クラッチにより、プッシュボタンを押したときのクロノグラフの挙動はスムーズだ。バターのような滑らかさとまではいかないが、クロノグラフをスタートさせるときの反動の感触は満足のいくものだ。

AWeek On The Wristのコンセプトは、レビュアーが朝から晩まで、カジュアルからドレススタイルまで、丸7日間時計を着用し続けてその感触を確認するというものだ。毎晩6時にタキシードを着るという儀式を体現したいのは山々だが(俺を一体誰だと思っている?農夫か?)、ボタンダウンのシャツとスラックス以外の服を着ることはない。しかし、カレラ グラスボックスは、どこにでもつけて行けるモダンなスポーツクロノグラフとして、その期待に応えてくれる。ヴィンテージのカレラが欲しいのなら、その代わりに現行カレラを買えばいいのだ(2レジスターのカレラなら、グラスボックスとほぼ同じ値段で手に入るだろう)。また、これは先代のグラスボックスや90年代のCS3110のような復刻版ではない。これは完全にタグ・ホイヤーの現行モデルであり、着用にあたり、特別な配慮は必要ない。

最大の疑問に答えよう。厚さはそれほど問題ではない。厚さは14mmで、約3mmはドーム型風防によるものだ。角ばったラグ、より正確にはラグの長さと直径の比率(という物差しがあるとすれば)には少しがっかりさせられた。説明しよう。初代カレラは直径36mmだが、ポリッシュ仕上げの長いラグのおかげでラグからラグの全長は約45mmだ。大胆だがエレガントで、カレラは洗練された手首の存在感を与えている。直径39mmとラグからラグの全長46mmのカレラ グラスボックスは、それに比べると短く窮屈に感じられる。

しかし、現代のグラスボックスとヴィンテージのカレラを比較するのは現実的ではない。それはさておき、事実は変わらない。この時計の装着感は素晴らしい。コンパクトだが、ベゼルレスで、ダイヤルにスロープが設けられたことで、より大きく感じられる。ホイヤー カレラは完璧な“ドレスクロノグラフ”であり、レース会場でも、その夜のブラックタイの授賞式でも着用できる時計だった。タグ・ホイヤー カレラ グラスボックスは、真のスポーツクロノグラフのように感じられる。タキメータースケールがダイヤルより高く配置され、クロノグラフ機能が文字どおり前面に出ているからだ。Cal.TH20-00を内蔵するグラスボックスの性能は折り紙付きだ。

ジャック・ホイヤーが求めたとおり、視認性は抜群だ。先代のグラスボックスの視認性の問題は、新しいダイヤルとベゼルの一体化のおかげで解消されている。メインダイヤルの上に配置されたトラックにより、クロノグラフとしての機能は特に優れている。

ダイヤルの窪んだ形状は、ダイヤルの端に向かって上方に傾斜し、風防を埋め尽くしている。ダイヤルは、例えば60周年記念モデルのカレラと比べると確かに賑やかだが、この時計のインスピレーションは、Ref.2447NSTを直系としており、それがアウタースケールで少し賑やかな印象をもたらしている。その狙いは、初代カレラの核となる要素に新たな解釈を加えた、これらの復刻版よりも野心的なものである。角度によっては、タキメータースケールそのものがサファイアベゼルの一部であるかのように錯覚する。インダイヤルは、60年代を彷彿とさせるフォントと円形のシボ加工で、特によく表現されていると感じる特徴だ。

この斬新で素晴らしく、混乱させるような目の錯覚を生み出す風防とスロープの設けられたダイヤルの組み合わせのおかげで、私はダイヤルから目が離せなかった。仕様上はブラックとシルバーのクロノグラフダイヤルということだが、それ以上のものがある。

競合モデル
カレラ グラスボックス(希望小売価格 税込80万8500円)は、価格だけを見れば、競合相手は数多い。ロンジン、チューダー、オメガなどは、75〜100万円の価格帯で堅実なクロノグラフを提供している。ここでは、カレラ グラスボックスと競合するいくつかのモデルを紹介しよう:

ロンジン スピリット クロノグラフ:税込49万8300円
チューダー ブラックベイ クロノ:税込72万500円(ブレスレット仕様)
タグ・ホイヤー グラスボックス:税込80万8500円
オメガ スピードマスター ムーンウォッチ:税込102万3000円(ストラップ仕様)
IWC パイロット41 クロノグラフ:税込108万9000円(ストラップ仕様)
ブライトリング プレミエかトップタイム:税込100万円前後
 このリストを見れば、どれもカレラ グラスボックスのスペック、デザイン、価格を完全に凌駕するものではないことがわかるだろう。どういうことか、詳しく見てみよう。

ムーンスウォッチ “ビーバームーン”は2本目のムーンシャインゴールドモデル?

冬のホリデーシーズンと大晦日に近づくにつれ、オメガ時計コピー 代引き今年も終わりに近づいている。ということは、スウォッチによるほぼ1年にわたる大イベント、ムーンシャイン・ゴールド・ムーンスウォッチも終わりを迎えつつあるということだ。思い起こせば、すべては今年の3月初旬に始まった。スウォッチとオメガはちょっとした予告ののち、最初のミッション・トゥ・ムーンシャイン・ゴールド・ムーンスウォッチを発表した。ケースから文字盤、ストラップに至るまで、時計そのものは通常のミッション・トゥ・ザ・ムーンとほぼ同じだったが、ムーンシャインゴールドでコーティングされたクロノグラフ秒針を備えていた点が異なっていた。

それ以来、オメガは毎月、同じミッション・トゥ・ザ・ムーンのベースモデルに花、ランタン、イチゴなど、さまざまなデザインのクロノ針を組み合わせたモデルを発表してきた。そして8月、ミッション・トゥ・ネプチューンをベースにしたムーンシャイン・ムーンスウォッチが、オールブルーの外観とゴールドの針で登場した。

ムーンシャインの発表は基本的にシンプルなものだ。それぞれ特定の満月の下で、ゴールドのクロノ針が製作された時計が発表される。このような針がどれだけ製造されるかが、1日限りの販売数を決めるのである。ムーンウォッチ・マニアはもう飽和状態に達していると思われるかもしれないが、今年、世界各地でムーンシャインが発表された時計はすべて完売した。この熱狂は本物であり、熱狂はまだ続いている。

今日、宇宙はビーバームーン(ビーバーの月)を迎える。ビーバームーンとは、ビーバーが冬眠に入る前にダムやその他の構造物を作るための光を提供する、非常に活動的な時期に対応する月である。ビーバームーンは1年のうちで2番目に遅い満月で、ビーバームーンをテーマにしたムーンスウォッチが行われることになった。

これが最後から2番目のムーンシャインのバリエーションとなるのだろうか? それは見てのお楽しみだ。この時計の詳細については、今回も(先月の“ロリポップ”をテーマにした時計と同様、1961年のスピードマスター CK 2998-3 FAPにオマージュを捧げたクロノ針を備えた)ミッション・トゥ・ザ・ムーンのベースモデルに、ムーンシャイン針のディテールが刻み込まれている。

そのディテールとは、針の根元に向かって丸太のようなエッチングが施されているように見える部分と、時計が光ると生き生きと浮かび上がる隠れた特徴である。白昼では目立たないが、暗闇では誇らしげに光る、よりわかりやすいビーバーのモチーフのように見える。これはブランパン×スウォッチのあとにリリースされた3番目のムーンシャイン・スピードマスターだ。

このブランドが今年の締めくくりにどんな時計を用意しているのかはわからないが、 12月の満月が“コールドムーン”として知られていることはわかっている。もう1度、青い時計を見ることができるかもしれない? 私はそう願っている。

本物のタイメックス軍用時計(プラスチック製、使い捨て、1980年代製品)の歴史

J.Crew(J.クルー)×タイメックスによるミリタリーウォッチは1940年代に軍用仕様で作られた時計を元にデザインしたと主張しているが、実際その時計を見つけることはできなかった。

J.Crew(J.クルー)×タイメックスによるミリタリーウォッチは、我々の心を捉えて離さない。1940年代に軍用仕様で作られた時計を元にデザインしたと主張しているが、実際その時計を見つけることはできなかった。タイメックスの倉庫に行った時も、スーパーコピー時計 優良サイト1940年代当時の時計を見かけたが、若いメンズウェアセットの手首でよく見るような現代的な解釈とは似ても似つかないものだった。そこで我々は、このデザインがどこから来たのか、もしあるとすれば、タイメックスがいつから軍用時計の製造を請け負っていたのかを探ることにした。J.クルーのモデルとなった時計を見つけたが、それは1940年代のものではなく、1982年前半のものであることがわかった。そして、話はそこで終わらない。

J.クルーとのつながり
タイメックスには、米国政府の時計を製造してきた長い歴史がある。そのなかにはボムタイマー、ストップウォッチ、もちろん腕時計も含まれている。最後のひとつについてはご存じだろう。結局のところ、タイメックス/J.クルーのミリタリーウォッチは、34丁目の南を横切る40歳以下の白人男性に実質的に支給されているのだ。しかし、タイメックスとJ.クルーが販売する時計は、1940年代の米軍仕様の時計に敬意を表してつくったと主張している。それは事実ではない。実際、タイメックスはアメリカ政府とミルスペックの腕時計を製造する契約を結んだのは、1980年代の1度きりだ。タイメックスの時計はほかにも製造され、そのあと軍が購入して支給されたが、それとは同じではない。

1970年代のベンラスの時計によく似たプラスチックケースの時計、タイメックスのMIL-W-46374Bの噂は以前から聞いていた。ネット上には写真もいくつかあった。フォーラムで噂されているのは、1982年2月と3月の2カ月間だけタイメックスがこのミルスペックの腕時計を製造したということだ。生産期間が短く、プラスチックケースに入れられ、廃棄方法も明確だったため、生存率は極めて低い。

我々はそれを見つけ、購入し、調査し、撮影した。

1982年、わずか2カ月だけの生産期間
J.クルーとのつながりが我々の興味を引いたが、最終的には多くの理由で興味深い時計となった。まず、珍しいことはわかっていたのだが、どのくらい珍しいのかは理解していなかった。どうか売られている個体を探してみて欲しい。真面目な話、存在しないのだ。何人かのタイメックスと軍用時計の専門家によると、この時計は政府によって実際に購入されたことさえないかもしれないと言うのだ。なぜその可能性があるのか、説明しよう。

これらの時計は、1982年2月と3月のケースバックのものだけが見つかっており、もし注文があったのなら、これらの時計は幅広い製造年代のものが見られると予想される。タイメックスがわざわざ2ヶ月の契約期間中に時計を生産することはないだろうから、これらは単に契約を獲得するための入札の一部であった可能性があるのだ。

そして1982年はタイメックスの歴史において非常に重要な年であり、機械式ムーブメントの生産を中止した年であった。タイメックスの資料によると、手巻きムーブメントの生産は1982年7月に停止しており、経営陣は何年も前からこの事態を予測していた。タイメックスがわずか数カ月後に生産を停止するとしたら、なぜ1982年2月に政府との契約を開始するのだろうか?

プラスチック製ケース
また、これらのタイメックスのミルスペックウォッチのケースは、ベンラスが同じガイドラインに基づいて製造したものと同様、信じられないほど軽量なプラスチックでつくられている。超高級ミリタリーデザインのプラスチックではなく、小学校の給食用の銀食器のプラスチックである。確かにそれは軽量だが、実際のその色は本当に愛らしく、着用するのが楽しくなる。

クリーンなキャリバー
次にムーブメントだ。これは信じられないほどにシンプルすぎておもしろい。繰り返しになるが、このタイメックスは以前のベンラスの時計と同様にシンプルな手巻きキャリバーで作られており、理論上は戦闘用に生産しているにもかかわらず、実際にはまったく堅牢ではない。プラスチック製ケースと激安ムーブメントからなるこれらの時計は、壊れたら修理せずに捨てるよう設計されていたのだ。

アメリカの聖杯
タイメックス MIL-W-46374Bは非常に魅力的な時計だ。この時計が製造されたのは、まさに“捨てられる”時計であることを決定づけるような基準で、疑わしいほど短い期間で生産された。しかし、唯一の真のタイメックスのミリタリーウォッチは、ブランドに魅了された人々、そしてアメリカのミリタリーアイテムに憧れを持つ人々にとっては、聖杯のような地位に達している。それはまた、J.クルーとタイメックスウォッチの真のインスピレーションでもあるが、J.クルーのマーケティング担当者にとっては、 “80年初頭の2カ月”よりも、1940年代のほうが少し華やかに聞こえたのではないだろうか。それを責めることはできない。

我々は、唯一となる真のタイメックス製ミリタリーウォッチの外観を楽しめたのなら幸いだ。次にあなたの友人が40年代のミリタリーピースをモデルにしたと言ったとき、あなたは何をすべきかわかるだろう。

ドバイウォッチウィークで見かけた時計、

現地の限定モデル、希少なヴィンテージリファレンス、ユニークピースなど、今シーズン最後のショーを写真満載のレポートでお届け。

2年に1度、秋の1週間、アラビア半島の元漁村がその年の時計イベントカレンダーを締めくくるホットスポットになる。ベン(・クライマー)がGPHG、秋のオークション、FHHを含む、ジュネーブで過ごした怒涛の1週間のフォトダイアリーでも述べているように、この業界の秋シーズンは多忙だ。しかし、ジュネーブから遠く離れたドバイウォッチウィークは、時計業界にとって素晴らしい1年の締めくくりとなった。

オメガスーパーコピー代引き 激安私は大学時代、アラビア語とその地域の文化、宗教、歴史を学ぶことに専念していた。ただこれらのトピックの複雑さと同じように、中東の時計文化は“ロゴ文字盤”や、最近のインド数字(ヒンズー・アラビア数字)の流行に対する執着よりもはるかに深く、私はそれを自身で体験しなければならなかった。そして、その体験から人々、そして素晴らしい時計のすべてに至るまで、イベントは私の期待をはるかに超えていた。

経済的、観光的、技術的に強力なドバイを“元漁村”と呼ぶのが控えめな表現であるように、ドバイウォッチウィークを時計の見本市と呼ぶのは、イベントをかなり過小評価している。このイベントは、世界最大の時計小売業者のひとつであるアフメド・セディキ・アンド・サンズ社(Ahmed Seddiqi & Sons)、および複数の政府および商業パートナーの支援を受けて開催されている。実際、2015年に始まったこの小さなイベントを必ず訪れるべき催し物へと変えたのは、イベント事務局長であるヒンド・セディキ氏本人である。しかし、明らかに商業的な傾向を持つWatches & Wondersとは異なり、ドバイウォッチウィークはまったく異なる雰囲気を持っている。

ヒンド・セディキ氏は、すべての展示にアクティベーションと教育を盛り込むようブランドに働きかけ、それがようやく全員に伝わったと、彼女は誇らしげに話していた。ジラール・ペルゴにはドライビングシミュレーターがあり、ヴァン クリーフではアートの展示が、クリスティーズでは鑑定など、さまざま展開していた。スペースの需要が供給を上回ったため、プレスラウンジは、より多くのブースのためのスペースを確保するべく少し離れた場所まで押し出されていた。ほぼすべてのブランドが新作を展示していたが、ほとんどは限定モデルで、発表と同時に売り切れていた。またWatches & Wondersとは違って、小売店のバイヤーがショーを巡回していたわけでもない。

それが積み重なって、すべてが特別なものに感じられた。手首にはめられた腕時計や、展示されている腕時計に目を奪われることは予想していたが(実際そうだった)、それ以上にブランドとの会話や、ブース間を歩いて友人や業界のレジェンドに出会ったときのほうが充実していた。1日目の夜、私はデュフォー(Dufour)夫妻、カリ・ヴティライネン(Kari Voutilainen)氏、レジェップ・レジェピ(Rexhep Rexhepi)氏に遭遇したが、いずれも30フィート(約9m)以内に出くわした。

ここで重要な考えはコミュニティの形成である。私は幸運にも、同僚のジェームズ・ステイシー(以下に彼の画像と感想をいくつか掲載する)と、HODINKEEのCEOであるジェフリー・ファウラーがいるチームの一員になれた。世界でも有数の多文化都市のひとつであるドバイにて、ドバイウォッチウィークではコミュニティという考えを最大限に活用した。以下からお見せしよう。

ドバイウォッチウィークの前日譚。マックス・ブッサーとMB&F HM11とともに、砂漠にて
ドバイウォッチウィークは、ドバイ国際金融センター(Dubai International Finance Center、DIFC)の比較的狭いスペースにとどまることができないほど、大きなイベントへと成長した。ヒンド・セディキ氏によると、DWW(ドバイウォッチウィーク)チームはブランドや小売業者に対し、小売店を“活性化”させ、会場外の場所を探すよう促しているという。その目的は、この街を訪れる情熱的な時計愛好家たちを生かし、街の中心部や中東の広い世界に観光客を呼び込むことだった。展示会に出展しているブランドもそうでないブランドも、このことを肝に銘じているが、しかしマックス・ブッサー(Max Büsser)氏率いるMB&Fほどそれを心に留めているブランドはないだろう。

ブッサー氏はこれまで9年間ドバイに住んでいたことがあり、月に1度はドバイを往復してMB&Fのチームを指導・サポートしながら、時計とは何かについて、私たちの理解を覆し続けている。ブッサー氏はドバイウォッチウィークの開幕前日に報道陣を招待してランドクルーザーに乗り込み、母国の文化と美しさだけでなく、“アーキテクト”と呼ばれるブランドの新作、“オロロジカル・マシン11”のお披露目を祝った。

ランドクルーザーで砂漠へ。

ザ ネスト バイ ナラ。

全国から集まった約14人のジャーナリストたちは、“ザ・ネスト”と呼ばれる砂漠の砂丘に佇む、美しい恒久的な宿泊施設にたどり着いた。そこはまるで映画『スター・ウォーズ』に出てくるワンシーン、惑星タトゥイーンにあるデューン・シー(砂丘海)のようで(サルラックとふたつの太陽は除いて)、そこでは素晴らしい料理や首長国の文化を味わえた(火回しが首長国の伝統芸術かどうかはわからないが)。私はそこで(ハヤブサの)イワンという新しい友人に会うことができた。そして砂丘の上に熱気球が昇る美しい日の出で目を覚まし、朝のコーヒーを楽しんだあと3頭のラクダのチームが背中に乗せてくれた。

そのすべてが素晴らしく、マックスが説明したように、それはドバイウォッチウィークの熱狂的な様相の前に中東の雰囲気になじむための穏やかな方法として意図していたものだったが、そこでは見るべき時計もあった。その詳細については、私のHands-On記事をチェックして欲しい。

MB&F オロロジカル・マシン11 “アーキテクト”。

1日目: ドバイウォッチウィーク初日
ドバイウォッチウィーク初日の朝は静かだった。多くの人が前日の夜に到着し、14時間半のフライトと9時間もの時差ボケが多くのアメリカ人旅行者を苦しめたようだ。新しいタイムゾーンには比較的慣れていると思っていたが、ジェームズ・ステイシー(同じく時差ボケしていたHODINKEEのリードエディター)に会うまで、自分がどれだけ時差ボケしているかに気づかなかった。コーヒーを求めて会場を歩き回っていたとき(会場準備が進むなか、何か気分転換になるものはないか探していたのだ)、私たちはチューダーのブースに立ち寄り、冷たいジュースを提供してもらった。気分をリフレッシュさせたあと、HODINKEEの長年の友人であるイタリア人時計ディーラー、マックス・ベルナルディーニ(Max Bernardini)氏からまたもやエネルギーをもらった。彼はいつものように賑やかなトーンで挨拶し、早々に“ダーク・キリー”を披露してくれた。

マックス・ベルナルディーニ氏の“ダーク・キリー”。

マックス氏お気に入りの“納屋で見つけた”1本であり、私のお気に入りのロレックスのひとつでもあるこのジャン=クロード・キリーは、今まで見たことのないようなパティーナをしていた。マックス氏はDIFCの敷地内にブースを構え、DWWから少し離れた場所にオフィスを構えていたクリスティーズのパネルディスカッションに参加していた。クリスティーズブースでは、オークションでの販売が間近に迫っている“The OAK Collection”を展示していた。数日中に両方の情報をお見せできるだろう。チューダーのグリーンジュースにしろマックスの素晴らしい時計にしろ、何かが私の背中を押してくれて、ドバイウォッチウィークを探検するキッカケを与えてくれた。ジェームズはすぐに、コーヒーを飲みながらリシャール・ミルの“ル・マン”、アラビア数字のプラチナデイデイト、そして中東マーケットの時計(F.P.ジュルヌ)を身につけた3人組のアラブ人を発見した。これらの時計は、私たちが頭を整理するために必要としていたものであり、ほんの始まりに過ぎなかった。

F.P. ジュルヌ クロノメーター・ブルー “ビブロス”限定モデル。

ドバイウォッチウィークを1周してみると、知っている人たちにたくさん出会えた。ダビドフ兄弟のひとりサシャ・ダビドフ(Sacha Davidoff)氏はゴールドスピードマスターを身につけていた。時計業界の誰よりもスピードマスターに精通している2人組にふさわしかった(ジェームズ注記:その日のうちに、サシャの相棒であるロイに出くわしたが、彼もまた実にワイルドな時計をつけていた。以下のギャラリーにその時計を掲載している)。セディキ・ホールディングの最高商業責任者であるモハメド・セディキ(Mohammed Seddiqi)氏は、彼の家族がデザインしたヴィンテージ・オロロジーの時計を着用していた。私はMB&F M.A.D.Galleryのディスプレイに立ち寄り、展示されているアートワークをチェックしたあと、さらにもう1周して時計を探し(アメリカからはるばるやってきたRGMを含む)、数分離れた場所に向かった。

史実として過酷な環境下で活躍した実績のある時計を、極地探検家たちの偉大な冒険譚とともに紹介していこう。

北半球にも冬が訪れる。多くの人がスキーやアイスフィッシング、あるいはミネアポリスやマンハッタンの極寒のツンドラで行われる風変わりな雪合戦に、自分の時計が耐えられるかどうか気になっていることだろう。この重大な疑問を解決する最善の方法は、過酷な環境で自分の時計をテストした人たちに注目することかもしれない。それではさっそく有名な極地探検家たちと、彼らが身につけていた時計の概要を挙げてみよう。もちろん、これはまだ不完全なリストなので、もしほかに知っている人がいたらぜひコメントで教えてほしい。

ロアール・アムンセン(Roald Amundsen): グラスヒュッテ製のデッキウォッチ(甲板用懐中時計)

ロレックスコピー n級アムンセンは誰もが認める極地探検の第一人者だ(さあ、刮目せよ)。初めて南極点に到達した探検隊を率いただけでなく、北西航路を最初に横断した人物でもある。また飛行船による北極圏全域の初飛行にも参加した。1911 年に行われた歴史的な南極探検で、彼は精密に調整されたドイツのグラスヒュッテにあるユリウス・アスマン(Julius Assmann)社製の“観測者用”または“甲板用”懐中時計を使い、地球最南端まで航行した。デッキウォッチ(甲板用懐中時計)は大がかりなマリンクロノメーター(甲板の下に安置された)の時刻に設定されており、甲板上に持ち出して天体観測を行うことができるため、航海用の時計として一般的に使用されていた。

ラナルフ・ファインズ卿(Sir Ranulph Fiennes): ロレックス GMTマスターとコボルト ポーラー サーベイヤー
ファインズは“存命するなかで最も偉大な冒険家”と呼ばれているが、それには理由がある。彼はアラビア半島の“空虚の地”と呼ばれる砂漠を征服し、南北の両極に到達し、さらには65歳でエベレストに登頂した。そして1979年から1982年にかけて行った“地球横断探検”は、飛行機を使わず、地上の交通機関のみで地球を縦軸に沿って1周した最初の(そして現在に至るまで唯一の)旅であった。

そのころファインズはロレックスの広告に登場しており、極地の極端な気温や熱帯の暑さに耐えながら、すべての遠征をロレックスのGMTマスターで敢行したと語っている。2000年代初頭にファインズはロレックスを離れ、“エクスペディションツール”を専門に扱う小規模なブランドであるコボルト・ウォッチ・カンパニーのアンバサダー、そして時計デザイナーとして活躍した。コボルトのポーラー サーベイヤーは、24時間針とデイ/ナイト表示を備えた機械式クロノグラフで、ラノルフ卿のアイデアをもっとも強く反映したモデルである。

エドモンド・ヒラリー卿(Sir Edmund Hillary): ロレックス オイスター パーペチュアル

エドモンド・ヒラリー卿は、1953年にエベレスト登頂に世界で初めて成功したことで知られている。そんな彼の手首にあった時計とは? ロレックスのオイスター パーペチュアル(あるいは、おそらくスミスも)だ。あの伝説的なエクスプローラーにインスピレーションを与えた時計だ。そして数年後の1955年、彼はスノートラクターを使った南極大陸横断の探検隊を率いた。この旅は3年を要し、南極大陸全域を横断した最初の記録となった。この冒険でヒラリーは、エベレスト登頂の達成後にカルカッタの宝石店ボセックから贈られたロレックス オイスター パーペチュアルを着用していた。この時計は2010年にアンティコルムのオークションに出品される予定だったが、裁判所の命令により出品が中止され、現在はニュージーランドのオークランドにある博物館に永久展示されている。

ラルフ・プレイステッド(Ralph Plaisted): オメガ スピードマスター プロフェッショナル
極地到達の英雄のなかでおそらくもっとも意外な人物は、ミネアポリス郊外の保険セールスマンだろう。ラルフ・プレイステッドとその仲間たちは、1968年にダルースのパブでビールを飲みながらスノーモービルによる北極探検を夢見ていた。カナダでアザラシ狩りをするよりも少し勇気のいる旅だと考えたこの奔放な一団は、さまざまなところに支援を求めた。カナダのボンバルディア社はこの旅にスノーモービル(稼働させ続けるには常に細心の注意を払う必要があった粗悪なマシン)を提供し、オメガはスピードマスター プロフェッショナルの一式を支給した。チームを極点まで導いたリーダー、ジェラルド・ピッツル(Gerald Pitzl)は、六分儀とスピーディ Ref.145.012(1年後に月に行ったのと同じリファレンス)を使用していた。プレイステッドは、驚くべきことに史上初の紛れもない陸路での極点制覇となったこの遠征ののち、オメガに手紙を書いた。彼らの援助に感謝し、最後にこう締めくくっている。「我々がオメガの時計について言えることはただひとつ、素晴らしい時計だということだ」

ラインホルト・メスナー(Reinhold Messner): オメガ スピードマスター プロフェッショナル
その20年後、地球の反対側でもう1本のスピードマスターが栄光を手にした。チロル出身のラインホルト・メスナーはエベレストの単独登頂に初めて成功し、補助酸素を使用せずに登頂した功績から、世界でもっとも偉大な登山家として認められている。1989年に彼は南極大陸に目を向け、パートナーのアルブド・フックス(Arved Fuchs)とともに、南極大陸を徒歩で横断した史上初の人類になるべく挑戦を行った。後年、メスナーはこの遠征を地獄のようだったと振り返り、これまでのどの登山よりも困難だったとしている。1980年の単独登頂ではオイスター クォーツを着用するなど、メスナーは数々のアルペン遠征でロレックスの腕時計を身につけたことで知られているが、南極大陸徒歩横断の際はオメガのスピードマスター プロフェッショナルを着用していた。

ウィル・スティーガー(Will Steger): イエマ バイポール デュオポリー
メスナーとフックスがトレッキングで南極大陸を横断していたのと時を同じくして、同じミネソタ州出身のウィル・スティーガーが、犬ぞりを使ってはるかに長いルートで南極大陸を横断するという壮大な遠征を率いていた。1989年から90年にかけての“国際南極大陸遠征”は、条件や 距離だけではなくいくつかの理由から非常に野心的なものであった。スティーガーは自分自身のほかに、フランス、日本、イギリス、ロシア、中国の各国代表を集めた国際色豊かなチームを結成したが、それゆえに言語や文化の壁という問題も発生した。

スティーガーは過去の遠征でロレックスの腕時計を使用していたが(彼は両極に到達した史上4人目の人物である)、1989年の遠征ではフランスのブランド、イエマが彼のために特別に製作した風変わりな腕時計を使用した。バイポール デュオポリーと名付けられたこの時計は、48mm径のチタン製ケース、ベルクロ式のケブラー製ロングストラップ、そしてクォーツムーブメントを備えていた。しかし、そのなかでも特に便利で特徴的な機能として、耐磁性の星座・太陽コンパスと、北極と南極両方でのナビゲーションを可能にするリバーシブルダイヤルがあった。信じられないほど希少であったり、世界でいちばん美しい時計というわけではないが、間違いなくこのリストの目的にもっとも合致した時計である。

ベン・サウンダース(Ben Saunders): ブレモン テラノヴァ
ベン・サウンダースは自分の専門分野を「寒い場所で重いものを引きずること」だと語り、ほかの探検家が雪上車や 犬ぞりを用いるなか、実際に徒歩やスキーで極点まで“人力で運ぶ”ことを選んだ。彼は2014年の初めにパートナーのタルカ・エルピニエール(Tarka l’Herpeniere)とともに、ロバート・ファルコン・スコット船長(Captain Robert Falcon Scott)の苦難に満ちた1912年の南極点挑戦の軌跡を辿り、沿岸部から南極点までを往復した。彼らは、徒歩による極地旅行の最長記録を樹立したのだ。“テラノバ”遠征の終了間際、サウンダースは凍てつくツンドラのテントから衛星通信を使って腕時計をInstagramに投稿した。それは、彼がこの旅のあいだずっと身に着けていたブレモンによる特別仕様のダイバーズウォッチだった。テラノヴァと呼ばれるこのモデルはブレモンのスーパーマリン 500のチタンモデルである。潜水用経過時間表示ベゼルを方位表示付きコンパスベゼルに変更し、24時間のGMT針を追加することで、1日中いつでも方位を確認できるようにしたものだ。ブレモンはこの高機能な時計を限定生産したが、すぐに完売してしまった。

マイク・ホーン(Mike Horn): パネライ ポール2ポール
冒険の分野においてラナルフ・ファインズに匹敵する人物がいるとすれば、それはマイク・ホーンだろう。この南アフリカ人探検家の偉業の数々は、無支援でのアマゾン川縦断から単独での北極圏1周まで、畏敬の念を抱かせるものばかりである。“アークトス”と名付けられた後者の遠征で、ホーンはムーブメントの外周に耐磁シールドが施され、ベゼルにコンパスが配されたパネライによる同名の特別モデルを着用していた。ホーンは長年にわたるパネライの愛用者であり(そしてパネライも彼をアンバサダーに起用し続けている)、彼は現在(本記事が執筆された2016年当時)地球を極軸で1周する2年間の遠征を行っている。パネライはこの遠征のために、ルミノール サブマーシブルGMTにチタンケースを組み合わせたポール2ポールと呼ばれる特別仕様の時計を製作した。今回のリストのうち、勇敢な読者が冬の冒険に出かけていない限り、まだフィールドに出ているのはこのポーラーウォッチだけである。

オーデマ ピゲによれば、これは今まで製造したミニッツリピーターの中で、最も高度な技術を駆使したものだという。

スーパーソヌリはスーパー(カー)ウォッチである。企業がコンセプトモデルを作るのは、それが売れると思っているからではなく、売れることを示すためである。例えば、カルティエがID ONEとTWOのようなものをつくったが、これはF1カーを作るようなものだ。それらを販売して利益を得ることは期待していないが、それらをつくるということは、よりいい技術を駆使して競合他社よりも優位に立つことであり、多くの時計を売るのに役立つかもしれないということだ。今回取り上げるスーパーソヌリについて、これはAPが8年前から取り組んできたミニッツリピーターであり、100年以上にわたるリピーター製造の歴史のなかで最も新しいもので、しかも実際に購入ができる時計だ(まあ、普通は無理かもしれない。もちろん私は無理だ。しかし誰かは買える)。

スーパーソヌリの実機を見たり、実際にチャイムを聴いたりするのは簡単ではない。オーデマピゲスーパーコピー 代引き現在生産されている、完成品の時計を見たり聴いたりするにはル・ブラッシュまで足を運ぶ必要があった。実際、スーパーソヌリは2年間にわたるティザーシリーズを経て、徐々にゆっくりと市場に登場した。オーデマ ピゲがリピーターに大きな変革をもたらすとして、開発に取り組んでいることを最初に示唆したのは2014年11月のこと。そのとき、オーデマ ピゲはロイヤル オーク コンセプト アコースティック リサーチ RD#1と呼ばれる時計のプレス画像&リリースを発表した。そして2015年1月、オーデマ ピゲがSIHHのブース内に特別に設置したマルチメディアポッドのようなもののなかで、我々の何人かがその音を聴く機会を得た。このアイデアは音響的にクリーンな環境でRD#1を聴けるのと同時に、8年間の研究開発投資であるRD#1から、目や耳をそらさないようにするためのものだった。それは大音量なだけでなく、暖かく、クリアで、豊かなサウンドが印象的だった。しかし当時は、RD#1がどのように機能するのか、技術的にほかのリピーターとどう違うのかについての説明はほとんどなかった。


 しかし今回は、我々に埋め合わせをするかのように、オーデマ ピゲが開発プロセスに関する豊富な情報を提供してくれた。オーデマ ピゲがなぜエンジニアリングソリューションの面で同じことをしたのかを理解するには、従来の方法でリピーターをつくるには何が必要なのか、そしてなぜリピーターウォッチをつくることがこれほどまでに難しいのかを理解する必要がある。そのために、オーデマ ピゲ ミュージアムの豊富なリピーターコレクションから、いくつかのリピーターを見てみようと思う。

 上のふたつの懐中時計はオーデマ ピゲ ミュージアムにあるコレクションの一部で、当時は最先端のものであった。写真1枚目はグランドストライク付きのクォーターリピーターである。ジュール=ルイ・オーデマ(Jules-Louis Audemars)が、幼なじみのエドワード=オーギュスト・ピゲ(Edward-Auguste Piguet)と組んで、1881年にオーデマ ピゲを設立する前に製作したものだ。2枚目はムーブメントと文字盤にサインが入った、超複雑な初期のオーデマ ピゲ ラトラパンテ・クロノグラフ・ミニッツリピーターだ。

 上のムーブメントはビッグ・ベンとしても知られる、ウェストミンスター宮殿の時計を手がけたイギリスの時計メーカー、デントのために作られたものだ。これはジュウ渓谷とオーデマ ピゲの複雑なムーブメントの取引が、いかに早く、そしていかに国際的に取引されていたかを示している。実際、オーデマ ピゲはほぼ創立当初からリピーターに特化していたメーカーであり、1882年ごろから始まるオーデマ ピゲのアーカイブには、多くのリピーターが記録されている。記録簿の最初のページにある13本の時計のうち9本がリピーターで、19世紀にオーデマ ピゲが製造した時計の半分がリピーターであった。


オーデマ ピゲ ミュージアムにある、ミニチュアな8リーニュのリピーター。

 例えば、あなたが時計職人で、1882年に(ジュウ)渓谷で懐中時計のリピーターの注文を受け、素晴らしい音を奏でるものをつくりたいと思っているとしよう。楽器製作における課題として、物理学/音響学の問題など、リピーターにはいろいろな見方がある。しかし、ここでは作り手の視点から見てみよう。

 まずケースが重要だ。金属によって音質が異なるが、1882年には金無垢やローズゴールドが使われていた。金は豊かな音を出すだけでなく、音をよりよく伝えるよう薄くすることもできる。あなたは時計職人であるため、音の伝達の物理的なことはよくわかっていないが、時計から最高の音を引き出すためには、比較的薄く、比較的硬いゴールド製ケースが必要なことは理解している。

 次に重要なのはゴングである。弦楽器のサウンドボード(共鳴する大きな表面積を提供することで音を増幅し、豊かにする)のように機能するケースとは異なり、ゴングはハンマーからエネルギーを受け取り、時計の基本的な音を作り出す役割を担っている。ケースのように、ゴングも薄く、比較的硬い必要がある。伝統的にリピーター用ゴングは鋼線を引き、馬の尿で焼き戻しをしていた(口伝ではそう言われている)。ゴングを調整するには、正しい音が出るまでゴングの外側の端を丁寧にヤスリで削っていく。また、ゴングを長く振動させるために、ゴングの足の部分も先細りの形にヤスリで削っていく(ゴングを固定するブロックとケースとの接続が固すぎると、枯れたような短い音になってしまう。ただしゴングを固定するネジが緩すぎても、時計本体への音の伝達が悪くなる)。


 第3に、ゴングを打つ速度について。テンポを制御するために、各リピーターには、リピーターの輪列のギアの回転速度を決定する調整機構がある。最も一般的で、実際何十年にもわたって使用されてきた唯一のシステムは、一種のアンクル脱進機だった。一連の歯車は、リピーター輪列に動力を供給するゼンマイ香箱から動き、ガンギ車とアンクルで終わる。ガンギ車が回転すると、アンクルはその歯をキャッチしてリリースする。唯一の問題は、チャイムが鳴っているあいだ、常に怒ったマルハナバチのような音がすることだが、懐中時計のリピーターはたいていかなりの音量が出るので、誰もが多かれ少なかれそれを我慢していた。

 つまりこれまで述べてきたことに加え、さらに多くのことが行われる。リピーターを作っている人の耳が悪くなく、そしてケースメーカーが正しい仕事をし、さらにゴングを正しくチューニングをすることで、素晴らしい音を奏でることができるのだ(ゴングを打ったあとにハンマーがどこまで反動するかを制御するためには別途調整が必要になるなど、一例を挙げればきりがない)。だからこそ、リピーター(とにかく優秀なもの)は尊敬されるのだ。魔法が起こるためには、1000の物事がちょうどいい状態でなければならない。

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腕時計用のリピーター
 意地の悪いサミュエル・ジョンソン(Samuel Johnson)は、かつて(ジェイムズ・)ボズウェル(Boswell)が女性の伝道師を見たことがあると彼に話をしたとき、そんなものは犬が後ろ足だけで歩くようなものだと不遜な見解を述べたことがある。“うまくはないが、まったくできていないことに驚かされる”。腕時計型のリピーターがそうだ。手首は、本当に時計にとってはバカみたいな場所で、ダメージや激しい温度変化、急な動きなどにさらされる。リピーターにとっては最悪の場所だ。さら、リピーターを腕時計のケースに入れるということは、正しく共鳴するのに十分な大きさのケース、そこそこの大きさのゴング、いい音を出すのに十分な力を発揮するハンマーなど、リピーターの音をよくするすべてのものを取り除くことを意味する。そのためリピーターの小型化は非常に難しく、高い技術力が必要であった。そして、その要求は消費者にも伝わることになる。19世紀後半から20世紀にかけて、リピーターは小型であればあるほど高価だったのだ。

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 ちなみに、1910年代のオーデマ ピゲのグランドコンプリケーション懐中時計は2200フラン(当時の相場で約330万円、1フラン=1500円で換算)だった。直径8リーニュ(リーニュは2.2558mmなので、直径20.464mmのムーブメントとなる)の小型リピータームーブメントを搭載したペンダントチャイムウォッチは2700フラン(当時の相場で約405万円)だった。ここでちょっと考えてみて欲しい。女性用ペンダントリピーターウォッチは、グランドコンプリケーションよりも高価なのだ。最初の腕時計用リピーターは、ルイ・ブラン(オメガの前身)のために1892年に完成し(オーデマ ピゲムーブメントを搭載)、オーデマ ピゲのサイン入り腕時計用リピーターは1925年に完成した。オーデマ ピゲのアーカイブによると、8リーニュのリピータームーブメントは、実際には少し大きい9リーニュのバージョンの2倍のコストがかかっていた。昔は複雑コンプリケーションムーブメントの直径を、2.558mm削るためにかなりの金額を払っていたのだ。


 上の写真は、1932年に製作された腕時計用リピーターの最新技術の一例である。プラチナ製ケースのなかに9リーニュ(20.2022mm)のムーブメントを収めているが、ケースサイズはわずか26mm×26mmである。素晴らしいのはその音のよさだ。まず第1にこの小ささ、第2にプラチナの音響特性はチャレンジ精神にあふれていると言えよう。というのもプラチナは非常に密度の高い金属であり、すぐに音のエネルギーを鈍らせてしまうのだ。ほかのすべての条件が同じであれば、プラチナ製リピーターは金無垢ほどいい音を奏でないが、ただこのリピーターは我々が聴いたゴールドリピーターと比べると、やや控えめではあるものの驚くほどクリアだった。実際、我々は今回の訪問のなか、ほとんどの人が一生のうちに聞くことができるよりも多くのリピーターを1日で聞けた。私自身の人生は、リピーターにかなり触れる機会に恵まれてきたが、その総数が午後1回で倍増したと思う。懐中時計のリピーターは(この記事で見たものはすべて、撮影する時間がなかったほかのいくつかも含めて正常に稼働していた)、部屋いっぱいに広がるほどのボリュームと存在感を備え、群を抜いて優れており、第2次世界大戦前の最も小さなリピーターでさえ、現代の多くのリピーターでは太刀打ちできないほどの鮮明さと品質を持っていた。少なくとも私が聞いたことのある、音量を売りにする新しいリピーターのなかには、音質をある程度犠牲にしているものもあるようだった。確かに音量は大きいのだが、それだけではなく、音が脆くて、少し明るすぎたのだ。

 第2次世界大戦までの数年間、オーデマ ピゲなどは基本的に、腕時計用リピーターの生産を停止していた。大恐慌から戦争までのあいだ、超繊細で非常に高価なチャイムウォッチは人々の関心を引くことはなく、耐衝撃性と防水機能が普及したためかエレガントな腕時計の時代は実用時計の時代に取って代わった。しかしクォーツショックは、時計への関心を復活させるという予期せぬ結果をもたらし、1992年にオーデマ ピゲは数十年ぶりとなる新しいリピーターウォッチ(9¾リーニュのCal.2865を搭載した、ジャンピングアワー ミニッツリピーター)を発表した。これは素晴らしいものだったが、ミニッツリピーターの設計には多くの疑問が残っていた。

ミニッツリピーターのベンチマーク
 ここでオーデマ ピゲ・ルノー・エ・パピが物語に登場する。1986年、APRP(オーデマ ピゲ・ルノー・エ・パピ)はドミニク・ルノー(Dominique Renaud)とジュリオ・パピ(Giulio Papi)のふたりが、オーデマ ピゲで複雑時計の製造に携わるには20年かかると言われたことに不満を抱き、独立を決意したことから始まる。興味深いことに、決別として始まったこの関係であるがオーデマ ピゲは1992年にルノー・エ・パピの株式を52%買収し、現在(編注;記事執筆当時)では80%を有するなど、結果的に相互利益のある結果に終わる。さらにAPRP側は、今後も外部の顧客を開拓できるという、92年に確立された合意もいまだ残っている。今日、彼らは世界で最も重要なムーブメントスペシャリストのひとつである。ジュリオ・パピは現在も同社の経営に携わっているが(ドミニク・ルノーは自身のプロジェクトを進めるべく会社を辞めた)、彼は小さくて気まぐれな機械に囲まれて仕事をしている割には、驚くほど温厚で社交的な人物である。

 パピによると、9年前に同氏が“リピーター問題”に取り組むことを決めたとき、最初のステップは、サウンド的に理想的な時計を見つけることだったという。


 彼らが選んだのが、1924年に製造されたこの時計であったことはかなり重要だ。壊れやすく、防塵・防水性もない、衝撃保護機能もないなど、20年代の腕時計にある技術的な欠点をすべて備えている。しかし、この時計には天使の声がある(聞いてみなければわからないが)。これまでに、今回の訪問時と2年前の訪問時の計2回、この腕時計の音を聴いたことがある。ほとんどのヴィンテージリピーターウォッチの音質は素晴らしいのだが、一般的には静かで小さい音の群集だ。大音量というわけではないが、想像以上の音量になるため、どこかにスピーカーが隠されていないか部屋を見回したくなる。

 HODINKEEは、2014年にオーデマ ピゲ ミュージアムを訪問した際、この時計を録音している。下のビデオからは3:45頃から聞くことができる。また3:00からは、有名なジョン・シェーファー(John Shaeffer)のミニッツリピーターも聞くことができる。


 時計業界と幅広く仕事をしている、スイス連邦工科大学ローザンヌ校による、無響室で邪魔なエコーを除去する技術協力を得て、録音および分析が行われた。「私たちは、音が何に依存しているのかというプロセス全体を理解したかったのです」とパピは言う。

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スーパーソヌリの革新
 目標とする周波数スペクトルを武器に、APRPは一連の革新的な技術を開発した。これにより堅牢性、防水性、音量に優れているだけでなく、非常に高品質なサウンドを実現したのだ。


 ゴングが最適な音色を出すことを確認するのが最初のステップだった(スーパーソヌリは伝統的なふたつのゴングを使ったリピーターだ)。ゴング自体の断面は円形の強化スティール製という伝統的なものだった(APRPが現在も馬尿を使用しているかどうかは不明だ)。パピは円形の断面と形が最高だと言う。ゴングのフォルムに角度がついていると、音のエネルギーが失われやすくなり、音質や音量に悪影響をおよぼすと言うのだ。ゴング製造における、すべての伝統的な側面は依然として重要だが、ベンチマークとなる周波数を使用すると、最適な目標を達成するのがはるかに容易になり、また人間の判断にそれほど頼ることなく一貫して行うことができる。


 スーパーソヌリで最も興味深い新パーツのひとつは、調整装置である。これまで述べてきたように、伝統的な解決策はアンクルであり、それが役割を果たすと独特のブザー音が鳴る(動画だと容易に聞こえる)。いくつかのリピーターに使われているフライレギュレーターには、いくつかの利点がある(基本的には遠心式の調速機)。ブザー音のノイズはないが、完全に無音というわけではなく、摩擦に依存しているため、使用されている潤滑油が古くなると、リピーターのテンポは時間とともに変化する。オーデマ ピゲはこれまで、一般的にアンクルレギュレーターに固執してきた。これがそのひとつだ。


 新しいバージョンのアンクルの外観はかなり異なって見える。


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 アンクルから発せられるノイズを調査中、APRPは、そのほとんどが実際にはアンクルと回転を制御するリピータートレインのガンギ車との相互作用から来ていないことを発見した。原因の多くは、実際にはピボットから来ていたのだ。上の写真は、伝統的な基本のアンクル調速機だが、それに衝撃吸収システムが追加されている。Bの字のような形をした、複雑かつとてもとても小さなバネがほとんどの働きをする。全体の長さはわずか1.5mmほどで、最も薄いショックバネの厚さは0.08mmだ。しかし、結果的には、安定したテンポが得られ、事実上無音のレギュレーターが完成した。音は可聴域をはるかに下回り、スーパーソヌリが動作しているときにはまったく聞こえなかった。通常どれだけクリアに聞こえるかを考えると、かなり驚くべきことだ。このシステムは実生活での15年間の使用に相当する期間、摩耗テストが実施されているため、信頼性も非常に高そうだ。

 では、実際どのようにしてスーパーソヌリから音が出ているのかを話そう。

 上の図は、スーパーソヌリに搭載されたムーブメント、AP Cal.2937の文字盤側と背面だ。これはオーデマ ピゲ初のミニッツリピーターを搭載したトゥールビヨンクロノグラフではないが、独自のムーブメント呼称に値するほど十分異なる。写真上の文字盤側には、トゥールビヨンと多くのリピーター機構が見え、下の写真にはコラムホイールとラテラル・クラッチ機構を備えたクロノグラフシステム、リピーター用のふたつのハンマー(左下)が見える。しかし、このムーブメントが従来のリピーターと大きく違うのは、ゴングがムーブメントプレートに取り付けられていないことである。


 上の写真はスーパーソヌリを裏側から見た分解図だ。ご覧のように、ゴングはプレートに取り付けられているのではなく、実際にレゾナンスメンブレン(膜)として機能する、インナーケースバックに取り付けられている。これはほかの最新のリピーターよりも大きな利点だ。膜はゴングの固有振動数で共鳴するのに十分な剛性があり、また音のエネルギーを吸収しすぎない程度に軽量だ。この内側の膜は、おそらく想像がつくかと思うが、銅合金(素晴らしい音を奏でたが酸化しやすい)から、信じられないかもしれないが合成サファイアまで、オーデマ ピゲは素材に関して多くの検討をした(パピいわく、サファイア膜の厚さは0.01mmしかなく、変な使い方をすると粉々になるのでサファイアはダメだったと言う)。また膜とケース本体のあいだにはガスケットが入るので、リピーターとしてはかなりの防水性を実現していた(ただリピーターの歴史の大半において防水性がゼロであったことを思い出すまで、20mという防水性は大したことには聞こえないかもしれない)。

 もうひとつ言わなければいけないことがある。従来のリピーターでは、時を打刻したあと、次に打つべき4分の1がない場合、通常クォーターの打刻が行われる区間を通過するあいだチャイムの音は止まる。その点スーパーソヌリがこのような状況に置かれた場合、時の打刻が完了した直後に分も打刻される。無音の間隔はまだ存在するが、機械的に分が打たれたあとのインターバルにシフトされるのだ。


 もちろん、これを読んでいる人が本当に知りたいのは、それがどのように聞こえるかということだろう。ここでスーパーソヌリが動いている短いビデオを掲載したかったし、オーデマ ピゲもSIHHの期間中いくつかの録画を許可していたのだが、残念ながら彼らはオンラインにアップされたものは重要ではないと決めたようだ(さまざまな程度の歪みや環境ノイズは、展示会にはつきものなのだ)。最終的に完成したモデルを、よりいい音響環境で録音できることを望んでいるし、記事の最後が少し拍子抜けしてしまうのは悔しいが、オーデマ ピゲの言い分も理解できる(更新: オーデマ ピゲがスーパーソヌリの録音を公開した)。

 きちんとした録音ができるようになれば待つだけの価値はあると思うし、それまでは、私が本当に素晴らしい音だと言っても荒らしていると読者が思わないことを願っている。騒がしい部屋のなかにいても、普通の会話の音よりも大きく、簡単に聞き取れる。実際、手首につけたときの音はオフのときよりも大きく聞こえる(これは異なる材料の層を介して音波を送信するという特殊性によるもので、構成が異なる場合は、音が反射して戻ってくる。時計を装着していない状態では、音は時計から多かれ少なかれ分散されるが、装着している状態では皮膚と裏蓋の境界が音を前方に反射するのだ)。音が大きいだけでなく、美しく、クリアな音だ。音量は大きいが耳障りな音ではなく、心地よい倍音にあふれ、レギュレーターからの不快なブザー音もない。スーパーソヌリがオペラ歌手だったとしたら、歌手の声が力強さとしなやかさをあわせ持つ魔法の時期、つまり声が成熟している時期と言える。ただ年齢を重ねる以前に、スーパーソヌリに年齢が影響することはない。


 スーパーソヌリのような時計は、腕時計に8桁台中盤のお金をかけることができる、非常に裕福なごく一部の人を除いて、所有することにそれほど意味はない。しかし、このクラスの時計を興味深いものにしているのは、時計製造における基本的な問題と、その創造の取り組み方について、どれだけ多くのことを教えてくれるかということだ。そして、それから学ぶためにスーパーソナリーを所有している必要はありません(我々のほとんどは選択の余地がないので、これは幸運なことなのだ)。これは私が長年見てきた、時計製造のかなり難解な分野を学ぶための最高な教材のひとつであり、またジュウ渓谷とオーデマ ピゲの物語に深く関わる、この複雑機構の製造における歴史の一部でもあるのだ。

オーデマ ピゲ ロイヤル オーク コンセプト・スーパーソヌリ。2音のミニッツリピーター、トゥールビヨン、スイープ式センターセコンド針搭載の30分積算計クロノグラフ。チタン製ケース、ブラックセラミック製リューズとチタン製プッシュボタン。44mm径、2気圧防水、内側に密閉された“サウンドボード”と裏蓋の開口部から音を逃がす。手巻きCal.2937、29.90m径×7.7mm厚、2万1600振動/時、部品点数478点、43石。ブラックラバーストラップ、チタン製オーデマ ピゲ フォールディングバックル。

ティソ PRXは、マイナスポイントがないという数少ない時計のひとつだ。

楽しくて、デザインに優れていて、手頃な価格の時計であり、最近では品薄に感じることもある。

ただひとつだけ注意しなければいけないことがある。オリジナルのティソ PRX パワーマティック80は40mm径、ラグからラグまでが51mmと、一部の人たち(私の手首も入る)にとって大きすぎたのだ。ただ35mm径の小振りなバージョンが登場したことで、ほぼすべての人がPRXを楽しめるようになった。

ティソ PRX パワーマティック80、35mm
ゴールドカラーをまとうPRX 35mm。

ティソは6月、パワーマティック 80ムーブメントを、35mmのPRXに搭載すると発表した。カルティエスーパーコピー 激安通販以前から展開していた小型のPRXはクォーツ式ムーブメントおよびスムースダイヤルのみで、ティソは(業界的に見れば)中型のPRXに好待遇を与えていたのだ。

現代のティソ PRXは、1970年代に誕生したブレスレット一体型スポーツウォッチ、ティソ シースターのクールな雰囲気を取り入れ、インスピレーションを受けている。最新のPRXも同様で、ほかの一体型ブレスレットウォッチに代わる手頃な価格を提供している。

ティソ PRX パワーマティック80、35mm
“アイスブルー”ダイヤル。

PRX パワーマティック 35mmのスペックから見ていこう。厚さは10.9mm、ラグからラグまでは39mmだが、最初のブレスレットリンクが固定されているため、44mmのようにも見える。ケースの仕上げは大型のPRXでもおなじみのもので、ほとんどがサテン仕上げだが、ベゼル、ケース斜面、ブレスレット内側のサイドなど、コントラストをつけるためにポリッシュ仕上げもふんだんに使われている。

ブレスレットはバタフライクラスプに向かって綺麗にテーパーがついている。クラスプは少々プラスチックっぽい感じで、高価なブレスレットのような満足感のある“カチッ”という音はしないが、2023年でそのような納得のいくものは700ドル以上すると思う。マイクロアジャストはないがブレスレットリンクは比較的短く、問題なくフィットした。

スタンダードなスティールケースには、アイスブルー、グリーン、ブラック、ブルー(いずれも税込10万7800円) 、35mm専用の新しいホワイトマザー・オブ・パール(税込11万3300円)、計5つのダイヤルオプションがあるほか、ゴールドトーンのシャンパンダイヤル(税込12万5400円)も展開している。今回のHands-Onはアイスブルー、マザー・オブ・パール、ゴールドの3本を用意した。それぞれ文字盤には、ワッフルパターンが刻印されている。比較的光量は少ないものの、針とアプライドインデックスにはスーパールミノバを使用し、十分機能していた。

マザー・オブ・パールは35mmのPRX専用となる新しいモデルだ。プレス画像や静止画でさえ真っ白に見えることがあるので、わかりやすい動画をこちらからどうぞ。

控えめだがとても美しく、この輝きを手に入れるには追加で5500円かかる。

ダニーがA Week On The Wrist記事で、オリジナルのPRX 41mmとともに過ごしたとき、彼はティソの12時位置に標準的なワードマークではなく、レトロな雰囲気のロゴを使用してほしいと語っていた。これは今でも有効な批評だ。ただ6時位置にある“PRX”ロゴのクールなこと!

ETA社製CO7.111をベースにした、既存モデルと同様の“パワーマティック80”ムーブメントが、PRX 35mmの内部で時を刻み、サファイア製シースルーバックからその動きを鑑賞できる。パワーリザーブは約80時間で、標準的なETA 2824を、よりロービート化した2万1600振動/時にしている。このムーブメントは修理が不可能なことから、“プラスチック”部品が使われているという誤解がある。実際はアンクルとガンギ車に、パワーマティック80ムーブメントのエントリーバージョンで見られる合成素材が使われている。

ティソ PRX パワーマティック80、35mmに搭載されたCal.80
時計師の@thatguyが、PRX 40mmをレビューしたA Week On The Wrist記事のコメントで残したように、この複合素材には次のような特徴がある。“脱進機の衝撃およびロックフェーズの段階で、摩擦と衝撃が少なくなる。これはレバー脱進機上の通常のスティール製とルビー製の石の摩擦を軽減して、頻繁に注油する必要性や、アンクルとガンギ車の歯が摩耗するのを防ぐことができる「シリシウム脱進機」システムでも同様である”。

同氏はさらに、これらのC07ムーブメントは“非常に実用性が高い”と述べた。ティソのサービス料金は非常にリーズナブルな傾向にあり、ブランドはそれについて透明性を保っている。これらの料金表の一部は公式ウェブサイトから見ることが可能だ。修理に出されたムーブメントは、単に納期を短縮するために交換されることもあるが、その場合古いムーブメントはスイスにあるティソ本社に送られ、完全な修理を受けてから再利用される。

ティソ PRX パワーマティック80、35mmのリストショット
サイズは私の16cmの手首にちょうどよかった。ひと回り小さいが、40mmよりも快適で着用しやすく、36mm径のラウンドウォッチにほぼ匹敵する。ティソはおそらく37mmのPRXを展開すれば、すべての人を満足させることができるだろう(ロイヤル オークで効果があればの話だが)。特にゴールドトーンは、リタイア後のコミュニティ内にいる最もクールなおじいちゃんのような感じで、否定できない魅力があった。PRXはモダンな時計としても十分に機能するが、ゴールドカラーで表現されると、まぎれもなくレトロな雰囲気に変わる。特にアイスブルーはクールでモダンな印象で、トレンドを取り入れつつも今の気まぐれに完全に迎合することはない。マザー・オブ・パールダイヤルは、35mm用PRXに新たに追加された素晴らしいモデルだ。もちろん、より多くの女性にティソやPRXの興味を持ってもらえるよう設計されたものだが、頑張りすぎていない。男の人だってMOPをつけられる。

ティソ PRX パワーマティック80、35mm
2枚の写真で見る、MOPダイヤルのルックス。

ティソ PRX パワーマティック80、35mm
実際、ティソがPRXを男性と女性の両方に向けて販売したのは素晴らしいことだ(見方によってはどちらに対しても)。マライカがこの記事で伝えた、ときには時計のデザインに性別がないのもいいという表現が好きだ。また意図的に女性向けにデザインしたという点も理にかなっている。特に35mmのPRXは明らかにユニセックスだ。冒頭でもお伝えしたとおり、この時計は楽しくて、デザインに優れていて、手頃な価格の時計なのだ。

ティソ PRX パワーマティック80、35mm
はっきり言っておきたいのは、たとえそれがほんの少し(本当にほんの少し!)小さいものであっても、私は40mmよりも35mmを毎日選ぶということだ。そしておそらく、その光り輝くMOPダイヤルのために5500円余分に払うことを正当化するべく、次に頼むブリトーでは(アボカドをベースにしたサルサの)ワカモレを抜くつもりだ。

価格設定と競合
ティソ PRX パワーマティック80、35mmのリストショット
ティソ PRX パワーマティック80、35mmのリストショット
ミドルサイズで1000ドル(日本円で約15万円)以下の一体型ブレスレットの分野では、今のところあまり競争相手がいない。クリストファー・ウォードのThe 12が最も適当な比較対象であり、これも最近36mmへと小型化した。ニバダ グレンヒェンのF77のサイズは37mmで、これも近い比較となるだろう(クリストファー・ウォードが最近小型化したのを思い出させてくれた、コメント欄のOllyWに感謝する)。しかしどちらも1200ドル(日本円で約18万円)以上であり、PRXの2倍近くの価格だ。ブリューウォッチ オートマティック(セイコー製ムーブメントを使用した限定モデル)のようなものは、マイクロブランドの堅実な代替品である。しかし、いずれもNBAのショットクロックのスポンサー(ティソ)になるほどのブランドの名声はない。

ティソ PRX パワーマティック80、35mm
70年代風のスポーツウォッチかつ一体型ブレスレットのルックスを望むのなら、35mmのティソ パワーマティック80がずば抜けている。私はオーデマ ピゲやヴァシュロン・コンスタンタンのようなハイエンドブランドがこのカテゴリを拡張するのを見るのが大好きだ。そしてこの価格帯で、同じようなものがもっと出てくることを願っている。巨大な市場機会があることは間違いない。PRXは文字どおりどこでも見かけるが、幅広い魅力と熱狂的な支持を併せ持つ希有な時計である。

新しい35mmサイズで、PRXの福音がより多くの人に届くのは素晴らしいことだ。そしてパワーマティック 80に37mmモデルを求めるの無理な話だろうか?

セイコー プロスペックス スピードタイマーに70年代の雰囲気を宿すメカニカルクロノグラフが登場

スピードタイマーがセイコー プロスペックスのラインに加わったのは 2021年のことだ。1960年代に見られたセイコーの計時における飛躍の過程、具体的には1964年に東京で開催された世界的なスポーツ競技大会で使用された超高精度なストップウォッチに始まり、1964年の国産初のクロノグラフであるクラウン クロノグラフ、そして1969年にリリースされた世界初の垂直クラッチ式自動巻クロノグラフこと1969 スピードタイマーまで駆け抜けたセイコークロノグラフの歴史をルーツとし、モダンに昇華したコレクションとなる。そのデビュー作であるSBEC007とSBEC009に見られた、円柱形のソリッドなケースフォルムと操作性に優れるハンマー型のプッシャー、ツーカウンターなどの意匠は、現在に至るまで同コレクションのメカニカルクロノグラフに共通するデザインコードとなっている。

だが、セイコーブランドの100周年を目前としたこの冬、スピードタイマーのメカニカルクロノグラフに少し趣向の異なる新作が加わった。パンダダイヤルと逆パンダダイヤルのSBEC021とSBEC023だ。1970年代に発売された、Cal.6138搭載のパンダクロノに着想を得たというこれらのモデルは、パテックフィリップスーパーコピー 優良サイト従来のスピードタイマーと比較してスポーツテイストがグッと抑えられた印象を受ける。

デザインモチーフとなった1972年の個体であるRef.6138-8000は、パンダの配色、短めのラグに流線型のケース形状、オレンジのクロノ針と多連のメタルブレスを特徴としている。レギュラーモデルとして展開されるSBEC021は、ブルーグレーのパンダダイヤルも含めて、そのエッセンスを強く受け継いでいる。大ぶりなハンマー型プッシャーなど従来のスピードタイマーらしい要素も残ってはいるが、ケースのフォルムが変われば与える印象も大きく変わる。これまでの工業製品然としたメカニカルクロノグラフと比べると、ラグからラグまでが緩やかなカーブを描く今作には、どこか品のある空気が漂う。

逆パンダデザインのSBEC023は、来たるセイコーブランド100周年を祝した限定モデルとなる。マットなブルーグレーダイヤルを備え、ホワイトシルバーのサブダイヤルにはレコード引きが施された。世界限定1000本となるこのモデルには、写真のメタルブレスに加えてブラックのカウレザーストラップも付属する。ステッチを効かせたマットな質感のストラップは、多連のメタルブレス装着時とはまた異なる男らしさを漂わせる(欲を言えば、価格帯を考慮するとクイックチェンジ機構が付いていればなおうれしかった)。

SBEC021、SBEC023ともに、ケースサイズは直径42mmで厚さが14.6mm、防水性能は10気圧となっている。価格はSBEC021が35万2000円(税込)で、レザーストラップが付属するSBEC023が38万5000円(税込)だ。発売は12月8日(金)を予定している。

ファースト・インプレッション
今作はスピードタイマーのメカニカルクロノグラフ、そのセカンドシーズンの始まりを告げるモデルだ。サイズ感にこそ大きな違いはないものの、ソリッドさを抑え、むしろエレガンスが感じられるような新たな舵取りがなされている。直近でレビューしたマリンマスターでも感じたが、無骨なスポーツウォッチとしてのイメージが強いプロスペックスの新たな可能性を模索しているようにも見える。

ケースフォルムの変更と並び、その傾向がもっとも顕著なのが多連のメタルブレスの採用だろう。デザインとしてはCal.6138搭載モデル、Ref.6138-8000のブレスを再現したような形ではあるが、当然ながらこの50年ほどで加工技術は大幅に進歩している。ピッチの細い中ゴマもガチャつきなくしなやかに動くし、各コマはサテンとポリッシュで交互に磨け分けられるなど手間がかかっている。ブレス全体の厚みも程よく、手首に巻いたときには時計本体をしっかりと支えてくれる感覚があった。総じて、既存のスピードタイマーのソリッドな3連ブレスと比べ、美観や作りの面で大幅な向上が見られた。70年代風のレトロさと現代的な高級感がバランスよく同居している。

だが一方で、内部に大きな違いはない。ムーブメントには、従来のメカニカルクロノグラフにも搭載されていたセイコーの8R系に連なる8R48が搭載された(余談だが、同ムーブメントは2019年のヒストリカルコレクション、セイコー自動巻クロノグラフ 50周年記念モデルにも使用されている)。これは約45時間のパワーリザーブに2万8800振動/時で駆動し、ダイヤル側に垂直クラッチとコラムホイールを採用したクロノグラフモジュールを重ねたものだ。これは(モジュール式クロノグラフでは一般的な数値だが)14.6mmのケース厚の要因となっており、個人的にはあと2mmでも薄くなれば流線型のケースフォルムがもっと生きてくるかも……、と思わずにはいられなかった。だが、今年発表されたモジュール式クロノグラフのグランドセイコー テンタグラフ(こちらは厚さ15.3mm)と同様、重心が低めに設定されていることから装着感は良好だ。上でも述べたブレスの作りの向上もあり、時計本体に振り回されるようなバランスの悪さはない。

ブルーグレーの塩梅は、僕個人としてとても気に入ったポイントだ。遠目にはブラックにも見えるほど暗いトーンなのだが、近くで眺めてみるとホワイトシルバーとのコントラストも強すぎず品があり、それが70年代のアーカイブに範をとった外装デザインに絶妙にマッチしているように見える。ダイヤルに溶け込むように馴染む、4時半位置のデイト窓の色味もうれしい配慮だ。

2021年の登場から丸2年間、あの円柱形のケースデザインに慣れ親しんでいたことから、今作を初めて見たときには少々驚きもあった。だが、セイコークロノグラフ史のなかでも特にポピュラーなモデルがベースとなっていることもあり、決して突飛な印象は受けない。また、その年代の時計を下地としたメカニカルクロノグラフを今作るなら、スピードタイマーの名前を冠するのが自然だろう。3年目を迎えたコレクションの拡幅を狙った挑戦としては、実に手堅い。むしろデザインやカラーリングにおいては、時計好きというよりもより広い層に受け入れられるものとなっている。8R系ムーブメントの安心感もあり、着用感の高さもあり、機械式クロノグラフをデイリーに嗜みたいという人には個人的に強くおすすめしたい。

基本情報
ブランド: セイコー プロスペックス(Seiko Prospex)
モデル名: スピードタイマー メカニカルクロノグラフ
型番: SBEC021、SBEC023(限定モデル)

直径: 42mm
厚さ: 14.6mm
ケース素材: ステンレススティール(ダイヤシールド)
文字盤色: シルバーホワイト(SBEC021)、ブルーグレー(SBEC023)
インデックス: バーインデックス、アプライド
夜光: あり
防水性能: 10気圧防水
ストラップ/ブレスレット: ステンレススティール製ブレスレット(ダイヤシールド)、SBEC023はカウレザーストラップも付属
追加情報: 内面無反射コーティング付きデュアルカーブサファイアガラス


SBEC023の裏蓋には右下にシリアルナンバーが入る。

ムーブメント情報
キャリバー: 8R48
機能: 時・分・秒表示、デイト表示、ストップウォッチ(30分積算計、12時間積算計)
パワーリザーブ: 約45時間
巻き上げ方式: 自動巻き(手巻き付き)
振動数: 2万8800振動/時
石数: 34

価格 & 発売時期
価格: 税込35万2000円(SBEC021)、税込38万5000円(SBEC023)
発売時期: 2023年12月8日(金)
限定: SBEC023は世界限定1000本(うち国内150本)

ディズニーとの公式コラボレーションの一環として3つの新しい文字盤に登場した。

ベルリン発のメンズオンラインメディアであるHighsnobiety(ハイスノバイエティ)と、人気イタリアンマイクロブランドのウニマティックが手を組み、この度、ディズニーとコラボレートしたミッキーマウスウォッチの限定トリオを発表した。これはすべてディズニー100周年に合わせたものである。

このカプセルコレクションには3つのスタイルがある。1929 ミッキー U3-HS(ケース径40mm)、1947 ミッキー U2S-T-HS(ケース径38mm)、2023 ミッキー U1S-HS2(ケース径40mm)のスーパーコピー時計 代引きウニマティックモデルで展開し、いずれもチタンかステンレススティール製だ。

モデロ ウノ U1S-HS2 “ダイバー”。

モデロ デュー U2S-T-HS “フィールドウォッチ”。

それぞれの文字盤には、異なる時代のミッキーマウスのイラストが描かれ、裏蓋にはシリアルナンバーを刻印している。2023 ミッキー U1S-HS2と、1947 ミッキー U2S-T-HSには、時・分・センターセコンドを持つセリタ製自動巻きCal.SW200-1 bを搭載。クロノグラフダイバーである1929 ミッキー U3-HSは、セイコー製のメカクォーツ式ムーブメント 、Cal.VK64Aを搭載している。また3本とも300mの防水性を誇る。

各モデルにはレッド、グレー、ブラックの3色から2本選べるストラップが付属し、すべて特注のパッケージに収められ、提供される。

我々の考え
時計愛好家の多くは、キャラクターウォッチを思い浮かべてと言われたらミッキーマウスの文字盤を思い浮かべるのではないだろうか。そしてそれには正当な理由がある。1984年にジェラルド・ジェンタが文字盤にミッキーをあしらったモデルを発表したことは周知の事実だろう。しかしキャラクターウォッチの流行は、実はインガソール(Ingersoll)から始まった。彼らは1933年にミッキーマウスウォッチを発売している。

ウニマティックはたいてい、昔の時計をほうふつとさせる、小さく控えめで現代的なひねりを加えた非常にシンプルなツールウォッチに沿ってデザインをしている。これまでの“サウスパーク”や“スポンジ・ボブ”のような大げさなコラボレーションとは異なり、ミッキーマウスはより歴史的なキャラクターウォッチのデザインに近い。アイデアとしてはもう少しクラシックで、デザインとしてはもっと繊細だ。

モデロ トレ U3-HS “クロノグラフダイバー”。

ディズニーはポップカルチャー帝国となり、商業的に実現可能なあらゆる製品に足場を築いている。しかし、懐疑的な気持ちを少し抑えて、なぜ多くの時計愛好家がミッキーに好意を持っているのかを考えてみよう。私はキャラクターウォッチがあまり好きではないが、ディズニーのキャラクターウォッチは違う。確かにミッキーマウスはポップで完璧なデザインだが、彼はまた、温かみがあってファジーなのだ。陳腐に聞こえるかもしれないが、ときにはとても普遍的に認められ、愛されているものを好きになってもいい。自分の脳や思考、意見を排除した深い資本主義社会に属しているような気にさせられても、子どものころのシンボルにしがみつき、そのシンボルを使った商品を買って、心地よさやノスタルジーを永続させたとしてもだ。

アニメが好きな大人になっても構わない。キャラクターウォッチをやるなら、クラシックなミッキーマウスがいい。しかも、これはかなり手頃な価格だ。

基本情報
ブランド: ウニマティック(Unimatic)
モデル名: “ディズニー100周年” ミッキーマウス リミテッドコレクション("100 Years of Disney" Mickey Mouse Limited Collection)
型番: U1S-HS2(モデロ ウノ、以降MU)、U2S-T-HS(モデロ デュー、以降MD)、U3-HS(モデロ トレ、以降MT)

直径: 40mm(MU、MT)、38mm(MD)
ケース素材: ステンレススティール(MU、MT)、サンドブラスト仕上げのグレード2チタン(MD)
文字盤: シルバーグレイン仕上げ
インデックス: ドット&トライアングル&バーの組み合わせ
夜光: あり、スーパールミノバ® C1ホワイト
防水性能: 300m
ストラップ/ブレスレット: クールグレー、グレー、キングレッドのTPU製2ピースストラップ(付け替え用カラーストラップ付属)、チタン製サンドブラスト仕上げの金具にUNIMATICのサイン

ムーブメント情報
キャリバー: SW200-1 b(MU、MD)、VK64A(MT)
機能: 時・分・センターセコンド(MU、MD)、時・分・スモールセコンド、クロノグラフ(MT)
直径: 25.6mm(MU、MD)、29mm(MT)
厚さ: 4.6mm(MU、MD)、5.1mm(MT)
パワーリザーブ: 約38時間(MU、MD)
巻き上げ方式: 自動巻き(MU、MD)、クォーツ(MT)
振動数: 2万8800振動/時(MU、MD)
石数: 26(MU、MD)

価格 & 発売時期
価格: モデロ ウノは1150ドル(日本円で約17万円)、モデロ デューは1300ドル(日本円で約19万2000円)、モデロ トレは850ドル(日本円で約12万7000円)
発売時期: 2023年11月22日より、Highsnobiety iOSアプリおよびHighsnobiety Shopにて販売開始
限定: あり、各モデル100本