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ドバイウォッチウィークで見かけた時計、

現地の限定モデル、希少なヴィンテージリファレンス、ユニークピースなど、今シーズン最後のショーを写真満載のレポートでお届け。

2年に1度、秋の1週間、アラビア半島の元漁村がその年の時計イベントカレンダーを締めくくるホットスポットになる。ベン(・クライマー)がGPHG、秋のオークション、FHHを含む、ジュネーブで過ごした怒涛の1週間のフォトダイアリーでも述べているように、この業界の秋シーズンは多忙だ。しかし、ジュネーブから遠く離れたドバイウォッチウィークは、時計業界にとって素晴らしい1年の締めくくりとなった。

オメガスーパーコピー代引き 激安私は大学時代、アラビア語とその地域の文化、宗教、歴史を学ぶことに専念していた。ただこれらのトピックの複雑さと同じように、中東の時計文化は“ロゴ文字盤”や、最近のインド数字(ヒンズー・アラビア数字)の流行に対する執着よりもはるかに深く、私はそれを自身で体験しなければならなかった。そして、その体験から人々、そして素晴らしい時計のすべてに至るまで、イベントは私の期待をはるかに超えていた。

経済的、観光的、技術的に強力なドバイを“元漁村”と呼ぶのが控えめな表現であるように、ドバイウォッチウィークを時計の見本市と呼ぶのは、イベントをかなり過小評価している。このイベントは、世界最大の時計小売業者のひとつであるアフメド・セディキ・アンド・サンズ社(Ahmed Seddiqi & Sons)、および複数の政府および商業パートナーの支援を受けて開催されている。実際、2015年に始まったこの小さなイベントを必ず訪れるべき催し物へと変えたのは、イベント事務局長であるヒンド・セディキ氏本人である。しかし、明らかに商業的な傾向を持つWatches & Wondersとは異なり、ドバイウォッチウィークはまったく異なる雰囲気を持っている。

ヒンド・セディキ氏は、すべての展示にアクティベーションと教育を盛り込むようブランドに働きかけ、それがようやく全員に伝わったと、彼女は誇らしげに話していた。ジラール・ペルゴにはドライビングシミュレーターがあり、ヴァン クリーフではアートの展示が、クリスティーズでは鑑定など、さまざま展開していた。スペースの需要が供給を上回ったため、プレスラウンジは、より多くのブースのためのスペースを確保するべく少し離れた場所まで押し出されていた。ほぼすべてのブランドが新作を展示していたが、ほとんどは限定モデルで、発表と同時に売り切れていた。またWatches & Wondersとは違って、小売店のバイヤーがショーを巡回していたわけでもない。

それが積み重なって、すべてが特別なものに感じられた。手首にはめられた腕時計や、展示されている腕時計に目を奪われることは予想していたが(実際そうだった)、それ以上にブランドとの会話や、ブース間を歩いて友人や業界のレジェンドに出会ったときのほうが充実していた。1日目の夜、私はデュフォー(Dufour)夫妻、カリ・ヴティライネン(Kari Voutilainen)氏、レジェップ・レジェピ(Rexhep Rexhepi)氏に遭遇したが、いずれも30フィート(約9m)以内に出くわした。

ここで重要な考えはコミュニティの形成である。私は幸運にも、同僚のジェームズ・ステイシー(以下に彼の画像と感想をいくつか掲載する)と、HODINKEEのCEOであるジェフリー・ファウラーがいるチームの一員になれた。世界でも有数の多文化都市のひとつであるドバイにて、ドバイウォッチウィークではコミュニティという考えを最大限に活用した。以下からお見せしよう。

ドバイウォッチウィークの前日譚。マックス・ブッサーとMB&F HM11とともに、砂漠にて
ドバイウォッチウィークは、ドバイ国際金融センター(Dubai International Finance Center、DIFC)の比較的狭いスペースにとどまることができないほど、大きなイベントへと成長した。ヒンド・セディキ氏によると、DWW(ドバイウォッチウィーク)チームはブランドや小売業者に対し、小売店を“活性化”させ、会場外の場所を探すよう促しているという。その目的は、この街を訪れる情熱的な時計愛好家たちを生かし、街の中心部や中東の広い世界に観光客を呼び込むことだった。展示会に出展しているブランドもそうでないブランドも、このことを肝に銘じているが、しかしマックス・ブッサー(Max Büsser)氏率いるMB&Fほどそれを心に留めているブランドはないだろう。

ブッサー氏はこれまで9年間ドバイに住んでいたことがあり、月に1度はドバイを往復してMB&Fのチームを指導・サポートしながら、時計とは何かについて、私たちの理解を覆し続けている。ブッサー氏はドバイウォッチウィークの開幕前日に報道陣を招待してランドクルーザーに乗り込み、母国の文化と美しさだけでなく、“アーキテクト”と呼ばれるブランドの新作、“オロロジカル・マシン11”のお披露目を祝った。

ランドクルーザーで砂漠へ。

ザ ネスト バイ ナラ。

全国から集まった約14人のジャーナリストたちは、“ザ・ネスト”と呼ばれる砂漠の砂丘に佇む、美しい恒久的な宿泊施設にたどり着いた。そこはまるで映画『スター・ウォーズ』に出てくるワンシーン、惑星タトゥイーンにあるデューン・シー(砂丘海)のようで(サルラックとふたつの太陽は除いて)、そこでは素晴らしい料理や首長国の文化を味わえた(火回しが首長国の伝統芸術かどうかはわからないが)。私はそこで(ハヤブサの)イワンという新しい友人に会うことができた。そして砂丘の上に熱気球が昇る美しい日の出で目を覚まし、朝のコーヒーを楽しんだあと3頭のラクダのチームが背中に乗せてくれた。

そのすべてが素晴らしく、マックスが説明したように、それはドバイウォッチウィークの熱狂的な様相の前に中東の雰囲気になじむための穏やかな方法として意図していたものだったが、そこでは見るべき時計もあった。その詳細については、私のHands-On記事をチェックして欲しい。

MB&F オロロジカル・マシン11 “アーキテクト”。

1日目: ドバイウォッチウィーク初日
ドバイウォッチウィーク初日の朝は静かだった。多くの人が前日の夜に到着し、14時間半のフライトと9時間もの時差ボケが多くのアメリカ人旅行者を苦しめたようだ。新しいタイムゾーンには比較的慣れていると思っていたが、ジェームズ・ステイシー(同じく時差ボケしていたHODINKEEのリードエディター)に会うまで、自分がどれだけ時差ボケしているかに気づかなかった。コーヒーを求めて会場を歩き回っていたとき(会場準備が進むなか、何か気分転換になるものはないか探していたのだ)、私たちはチューダーのブースに立ち寄り、冷たいジュースを提供してもらった。気分をリフレッシュさせたあと、HODINKEEの長年の友人であるイタリア人時計ディーラー、マックス・ベルナルディーニ(Max Bernardini)氏からまたもやエネルギーをもらった。彼はいつものように賑やかなトーンで挨拶し、早々に“ダーク・キリー”を披露してくれた。

マックス・ベルナルディーニ氏の“ダーク・キリー”。

マックス氏お気に入りの“納屋で見つけた”1本であり、私のお気に入りのロレックスのひとつでもあるこのジャン=クロード・キリーは、今まで見たことのないようなパティーナをしていた。マックス氏はDIFCの敷地内にブースを構え、DWWから少し離れた場所にオフィスを構えていたクリスティーズのパネルディスカッションに参加していた。クリスティーズブースでは、オークションでの販売が間近に迫っている“The OAK Collection”を展示していた。数日中に両方の情報をお見せできるだろう。チューダーのグリーンジュースにしろマックスの素晴らしい時計にしろ、何かが私の背中を押してくれて、ドバイウォッチウィークを探検するキッカケを与えてくれた。ジェームズはすぐに、コーヒーを飲みながらリシャール・ミルの“ル・マン”、アラビア数字のプラチナデイデイト、そして中東マーケットの時計(F.P.ジュルヌ)を身につけた3人組のアラブ人を発見した。これらの時計は、私たちが頭を整理するために必要としていたものであり、ほんの始まりに過ぎなかった。

F.P. ジュルヌ クロノメーター・ブルー “ビブロス”限定モデル。

ドバイウォッチウィークを1周してみると、知っている人たちにたくさん出会えた。ダビドフ兄弟のひとりサシャ・ダビドフ(Sacha Davidoff)氏はゴールドスピードマスターを身につけていた。時計業界の誰よりもスピードマスターに精通している2人組にふさわしかった(ジェームズ注記:その日のうちに、サシャの相棒であるロイに出くわしたが、彼もまた実にワイルドな時計をつけていた。以下のギャラリーにその時計を掲載している)。セディキ・ホールディングの最高商業責任者であるモハメド・セディキ(Mohammed Seddiqi)氏は、彼の家族がデザインしたヴィンテージ・オロロジーの時計を着用していた。私はMB&F M.A.D.Galleryのディスプレイに立ち寄り、展示されているアートワークをチェックしたあと、さらにもう1周して時計を探し(アメリカからはるばるやってきたRGMを含む)、数分離れた場所に向かった。