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スタッフとの出会い(経田さん編)。

経田さんと初めて会ったのは12,3年前の「大東京」
です。「大東京」は南5条西3丁目グルートススキノ
ビル7Fにありました。

あっ!経田さんは「ツネタ」といいます、ちなみにPCで
変換する時には、一度経理と打ってからなので少し
面倒です。(笑)

経田さんは、最初「ホテル・アルファ(現オークラ)」に
おりまして、香港の人に点心を教わっただけあり、その
腕前は中々のものです。

経田さんは、ずっとオーソドックスの中国料理をやって
来たので、あたくしたちがその当時やっていた「創作系」
は初めてだったので、最初のうちはかなり苦労したようですが、

元来、腕も良いのですが、当時の職人には珍しく柔軟な
人なのであたくしたちの無理難題にも一所懸命に取り組んで
くれて、本来の腕+新しい料理に挑戦して色々な商品を
メニューに登場させて頂きました。

人柄も温厚でスタッフやお客さんからも評判が良いので
、ホールのスタッフも経田さんには安心して料理を頼んだり
、時には忙しい時でも、スタッフの為やお客さんの為なら
色々と要望に答えてくれるのです。

例えば「すいません、いつもお見えになってる
00さんのお連れの人が「かに」が苦手なので「かに玉炒飯」
の「かに」を抜いてくれませんか?」

って、いくらなんでも「かに玉炒飯」は名前の通り「かに」が
メインなので「かに玉炒飯」なのですが、それでも経田さん
は「うわー!それなら「かに玉炒飯」じゃなくなるだろ。」と言いな
がらも、「要はかに玉炒飯のような形で「かに」ではなく他の
素材でいいんでしょ」と言いながら作ってくれるのです。

皆さんは「単に違う素材を入れればいいじゃない」と思うかも
知れませんが、その素材を一品変える為に調味料や調理法
を変える場合もあり、

しかも忙しい時はその一品のお蔭でリズムが狂い他のお客様
の提供時間にも影響する時があるのです。それでも、お客さん
やスタッフの為に一所懸命にやってくれます。

その辺の所はカウンターに来る常連さんは十分すぎるほど分かって
いると思いますよ。(ねぇ、伊澤くん)

料理店においてキッチンはお店の「心臓部」です、どこどこの
ホテルにいたとか、どこかの有名店で働いていたと言って「技術」
を自慢する人をたまに見かけますが、

料理と言うのは作るのが「目的」ではなく、それはあくまでも「手段」
であって、本当の目的はお客さんから「ホント、美味しい料理を
ありがとう」と言われ「料理でその人の心を豊かに」することなんです。

その辺の優しい「心」があって初めて思いやりのある「商品」が出来る
のです、それには単に「技術」や「名声」、つまらない「プライド」は必要
ないんですね。

現在の経田さんはサイバーシティービルから南6条西3丁目の「フォレスト
ビル2F」にいます、しかもそこはオープンキッチンなので目の前で作って
いるので好みの味にアレンジしたり、話をしながら一緒に自分好み
の商品を作ってくれますよ。

自分のわがままを聞いてくれて、且つ何時いっても世界にたった一つの
「自分レシピ」をキープして楽しめると言うのは、ある意味最高の贅沢
なのではないのでしょうか。

さあ、皆さんも、どんどん「わがまま」を言って経田さんを困らせてあげて
下さい、きっと「うわっ、それは難しいですよ~」と言いながらも、作って
くれますので。

どうですか?そんな店があると、きっと他の人からは羨ましがられるし、
、一緒に行く人の喜ぶ顔が見られますよ。

この12,3年間経田さんと沢山色々なことを一緒に経験してきました、
「大東京」から「上海月」へ、そしてあたくしの独立。当初、あたくしは
経田さんの生活のことを考えて、タスコに残るように薦めました。

どうなるか分からない不安定な会社なので、家庭のある経田さんは
タスコに残って安定して欲しいと思ったので、でも経田さんは「本部長
(当時)と一緒に行きます、そっちの方が色々と経験が出来て楽しい
ので」と。

経田さんなりの思いやりのある言葉です。本当にあの時の言葉は
今でも忘れません。ありたい言葉です。

正直言って、あたくしは経田さんにはいつも自分勝手なことを言ってい
ると思います(って言うか、皆にもだ)。

判ってます、経田さんが「社長、あの時、丸かを選んで本当に良かったです」
と言うのはどのようにすればいいのかを・・・・・。
経田さんのいるお店です。

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