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輝く人たち。(中)

昨日の続き、

中二の時に事故で両足を切断した、鈴木さんは
緊急措置としての最初の手術は無事終わりました。

しかし、それからが大変で二度目の手術で院内感染
で傷口から菌が入り何日も高熱が続き、一時は医者
から「抗生物質が効かなければ、命が危ないかも知れ
ません」と宣告までされる状態までなったのです。

三回目の手術の後は皮膚移植に伴う『強烈』な痛み
と闘い、切断した部分のガーゼを交換する時の痛みは、
皮膚を剥がされるかと思うほど激しく、

何度も泣き叫びそうになり、痙攣(けいれん)を併発し、ま
ともに食事をとれないことも度々でした。

ようやく痛みが治まってきても、また別な悩みが頭をもたげて
きます。それは自分が障害者になったことで、人の目が気になり
出したことでした。

鈴木さん自身、障害者に偏見を持っていたので気づかぬうちに
障害者であることを隠そうとしたのです。足はいつも膝掛けで
覆い、お見舞いに来てくれた友達にも心から喜ぶことができな
かったといいます。

鈴木さんの入院期間中には様々な出会いと別れがありました。
その一つに鈴木さんをはねた人は二十代の若い女性で、お見
舞いにも二度来てくれました。

うつむき加減で鈴木さんに二言、三言声をかけると、それっきり
黙ってしまうのでした。しかし、その後その女性からの連絡は
途切れ、事故後の話し合いをしようとしていたお父さんはやき
もきしていました。

鈴木さんは、一時的なショックから徐々に立ち直り、自分の中
で何かが吹っ切れて新たな人生をスタートしようと新鮮な気持ち
で、むしろいきいきと毎日を過ごしていました。

加害者の女性が自殺したと聞いたのは、そういう時でした。
鈴木さんは、それが事故のせいだと思うと、いたたまれない気持ち
になりました。

実はその自殺した女性は複雑な家庭環境で、それを知るにつけ
幸せを味わうことなく亡くなったことが不憫(ふびん)でならなかっと
いうのです。

もっと話を聞いて「本当に大丈夫だよ」という一言をかけてあげて
いたらと思うと、今でも悔しくてならないと言います。

一方、厳しい治療の中にも楽しい出会いがありました。車椅子
マラソンをしている「杉浦さん」との出会いです。トラクター事故で
両足をなくし、本当なら落ち込んでいるはずなのに、普通の人
以上に明るくバイタリティーあふれる姿は、いささかもハンディを
感じられなかったのです。

その時、鈴木さんは「障害者でも普通の人と変わらないんだなぁ。
もしかしたら、人生を明るく生きるかどうかは、その人の気持ちが
決めるものかもしれない」。

そんなある日、杉浦さんから車椅子マラソンを誘われて見に行き
、雨の中デットヒート繰り返す選手達の走り終わった後の姿の笑顔
、歓声、惜しみない拍手がとても衝撃的で理屈抜きに「かっこいい」

と思い、鈴木さんも中3で車椅子マラソンを始めました。練習を重ね
徐々にスピードが出るようになり、大学時代は国内外の大会に
エントリーするほどになったのです。

鈴木さんにとって「車椅子マラソン」は、あの事故以来忘れていた
「夢や目標」の大切さを呼び覚まさせてくれたのです。

車椅子マラソンという、生きがと出逢った鈴木さんのその後の人生
にとても影響して行くのでした。

続きは明日。