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スタッフとの出会い(細B編)。

あたくしが、細Bと初めて会ったのは、以前いた
会社が初めてではなく、まだ、あたくしがフリーター
(昔はプー太郎)をしていた時です。

その昔、ススキノに「泣き虫ピエロ(ジャパンランド
ビル)」という店の姉妹店で、アルトビルに「おしゃべり
ダックス」というカラオケパブで初めて会いました。

あたくしは当時「コースターズ」という、地元の友人達と
チームを作り(ただの飲み会チーム)揃いのスタジャンや
ボーリングシャツを羽織って、毎週土曜の夜は「おしゃべり
ダックス」へ飲みに行っていました。(常連って奴です)

メンバーの仕事は、あたくしがポンプ車のバイト、リーダーの
藤田が自衛隊、山住が設備屋、アッキが・・・・・?何して
たっけ?でも、きっと建築関係のバイトの4人です。

けっこう、「おもろー」な奴らで、よくその店でモノマネや話術
で、店の人や周りのお客さんを笑わせておりました。
(後に全員別々の店だけどススキノで働くことになる)

そこで、カウンターに他を寄せ付けない気取っているけれど
、なんとなくいい感じの二人組みの女性が座っておりました。

「おう!いい感じ、よし、ここはいつものモノマネや話術でなん
とか、こっちに気を引かせよう」となり、あの手この手で気を引こう
としましたが、完全に無視。話しかけてもまったく無視。

とうとう、あたくしたち「コースターズ」が出した結論は「何だよ、
あいつらお高く留まっちゃって、きっとマヌカンだよ」と。

その当時、ややが歌う「夜霧のハウスマヌカン」と言う、DC
ブランドの見栄っ張りの販売員のことを歌った曲が流行り、
お高く留まった女性は「マヌカン」と呼んでいました。

その時はそれで終わりましたが、2ヶ月ほどして大通の
地下鉄で、前からテクテクと歩いて来てすれ違った女の子は
まさしく「マヌカン」の細Bでした。お互いに「あれ?」
と言う感じで、そのまま通り過ぎました。

その当時、細Bは18、9歳で昼は「かにっこ」夜はディスコ
「エクシング」で掛け持ちをしていたのだそうです。
まぁ、その当時の「ディスコ」の店員も「マヌカン」もどっちも
どっちだったけどね、お高く留まっているところは。(笑)

そして、それからあたくしが以前いた会社に入り「Rap」
(ラップ)と言う所で働いていて、マスターに「OPERA」
に行こうと誘われて、「OPERA」に行くと、ステージで
細Bが歌っていたんです。

お互いに声を上げて「あっー!」と。そして、どうしてここに
居るの?って聞いたら「私、ここの会社に入って隣のビルの
TANGO(タンゴ)で働いているのー」って言いました。

マスターが「お前ら知り合いか?」 「えぇ、まぁ・・・・・」。

それから、数ヶ月して新店が出来るということで、あたくし
が店長で細Bも新店要員として、一緒のメンバーになり
いつの間にか新店ではなくそのまま、あたくし達「ラップ」
メンバーと細Bとが数々の伝説を作った「オペラ」で働くよう
になりました。

その後、細Bは「ドラゴン倶楽部」「北海道むかし話」「しゃか
りき屋」「喜楽」「ティキ・ティキ」と渡り歩いて「大東京」から
また、あたくしと働いて現在に至っております。

細Bが一番店を移っているんです、それは細Bが行く店は
必ず業績がよくなるからなんです。行く先々で沢山のお客
さんを男女問わずファンにさせるし、スタッフも働きやすいんです。

「オペラ」で彼女が早番で2:00で上がる時に、1卓、1卓
挨拶をすると必ずその卓でご馳走になり、歌まで歌うので
結局2:00の早番が4:00位になってしまうんです。その位
お客さんから可愛がってもらうので、お店が繁盛しないはずが
ないんですね。

だから、一時会社では「あげまん伝説」って呼ばれておりました。(笑)

何だかんだと、仕事をして20年。出会ってから21年になります・・・・・。

どうぞみなさん、これからも「細B」をよろしくお願いします。
&そろそろ「労わってあげて下さい」ね。
それといい人も募集しております。ファイル 96-1.jpg
ファイル 96-2.jpg
「コースターズ」(笑)手前右が藤田、左がアッキ、右後ろが山住、
そのとなりがあたくし友人の結婚式で。