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博学なお客さん。

もうかれこれ十数年前になるけど、お客さんでSさんという方
がいまして、いつも帽子にサングラス、バッチが趣味で服や帽子に
沢山のバッチをつけて、一人でカウンターに来られるお客さんがいました。

いつも”アーリータイムス(バーボン・ウィスキー)”をロックで飲んでいまして、
酔ってくるとかなり訳のわからんことを話しまくるのですが、
博学で色々なことを知っていて、大変面白い人でした。

年の頃で言うと、うん!?
いや、まったく不明だ。きっと、4つ〜8歳くらいの間で上だと思う。

そのSさんと(酔いすぎる前の)、あたくしは話しをするが楽しくて、
時間がある時には、一緒に”大東京”のカウンターで飲みながら
色々な話を聞かせてもらいました。

他の店でも有名人でして、まぁ、賛否両論はありましたが、
(やはり酔うとおかしくなるので)大東京のメンバーはみんな好意的でした。

Sさんの話は多岐にわたっており、
例えば、「周・富徳物語り」などといって、「周・富徳は小さいときに
炭の上で中華なべを使って料理を作っていたんだよ。だから、いっぺん俺も
試してみようと思うんだ。そして、その体験とその物語を、母校の札大で
生徒を前に講演するんだ。」とか、

「Sさん、カッパって本当にいたんですかね?」と聞くと、
「う〜ん、本当にいたかどうかは定かではないけど、昔、”河童衆”という
川の中とかで仕事をする、土木の集団がいたんだけど、その”河童衆”は
水の中で仕事をするので、褌(ふんどし)一丁の姿なので、溺れてた時の
為に頭を茶巾縛りのようにしていて、何かあったときはその茶巾縛りを
掴んで引き上げていたんだよな。」

「へ〜。」
「それで、その茶巾縛りがほどけた格好が”河童”のように見えたんじゃないかな。」
「へ〜、ありえますよね!!」

「宮本武蔵はね、本当はどこかの大名(藩)に仕官したくて、
自分から色々な所に売り込んでいたんだよ。で、天草の乱では刀を加えて、
お城をよじ登ったりもしたんだ。」
「ホントですかー!!」

「この前、家で”どぶろく”を作ったんだよ。」
「えっ!?Sさん、それって密造酒ですよね。」
「うん、そうとも言う。」
「いや、いや、完全に密造酒ですって。」
「うん。でも失敗したから。でも、成功したら持ってくるから皆で飲もうよ。」
「そうじゃなくて・・・・・」

こんなこともありました、
店ではBGMで洋楽の有線が流れていて、
Sさんがそれを口ずさんでいたので、あたくしは冗談半分で
「Sさん、この曲の歌詞はなんて言ってるんですか?」と聞くと、
Sさんは「どれどれ」と言い、次の瞬間にはスラスラと訳してくれも
しました。(あってたのかな?)

Sさんは、何をしているのか?家族関係は?謎で本当に不思議な人でした。
唯一、手羽先が大好きみたいで”しゃかりき屋”と言う焼き鳥へ行き、
必ず手羽先を5,6個持ち帰り、大東京のカウンターで食べるのでした。
(とうぜん、一人で食べつくします。アーリータイムスで)

Sさんは映画にも詳しくて、中でも”男はつらいよ”シリーズの”寅さん”が
好きで、渥美清さんが亡くなった時には、ひどく落ち込んでいて
「きっとそのうち、狸小路7丁目あたりで”寅さん”が万年筆とかを売っている
気がするんだよ。」

「Sさん、なわきゃないよ。」
「うん、だよね。」
などと、話してそれから永遠と映画の話をしてくれてもいました。

大東京はビルの7Fにあるので、帰るときは必ず数人でお見送りを
するのですが、決まってSさんは寺島修司の作品のワンシーンを
熱演して、カーテンコールが閉まるようにして、エレベーターの扉が
閉まるタイミングで”おじぎ”をするのですが、

時々、あたくしたちが冗談で閉まりかけた時に、エレベータの扉を
開けると、「決まったぜ!」的に手を胸にあて、足を交差して”おじぎ”を
しているのですが、Sさんはまさか扉が開いているとは思ってはいなく、
頭を上げると、あたくしたちがニヤニヤしながら見ているので、

「ああ〜!せっかく決まったんだから」とか言って、恥ずかしそうに
帰るのです。

どうしてんのか〜、Sさん。
また、色々な話をして下さい。

きっと、この”トップギア!!”を見ていないと思いますが、
万が一見ていたら連絡を下さいね、沢田(澤田)さん。。。。。