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欽ちゃんのホルモンは「おやじ」の想ひ出。

前にも言いましたが、あたくしは芦別市西芦別町
と言う産炭地で育ちました。じいさんも、おやじも
炭鉱マンでした。

小さい時の楽しみはと言いますと、家族で行く「芦別
レジャーランド」かホルモン屋の「恵久(えく)ちゃん」に
行くこと位しかありませんでした。

どちらも隣町なので、バスで20分くらいかけて行くの
です。

現在「恵久ちゃん」は跡取りがいなくて、10年以上?
前になくなり残念ですが。

家族で行った記憶はおそらく小学生までです。
家族はおやじ、おふくろ、兄貴とあたくしの4人、みんな
ホルモンが好きで、兄貴とあたくしはおやじやおふくろの
仕度を待ちきれずに家の前でふざけながら待っていた
ものでした。

おやじはよく「なんこ、食いに行くべ、なんこ」と言って、
「恵久ちゃん」に着いて注文はおふくろの役目で「ママ~、
ジョッキ二つ、ジュース2本とホルモン三つにシンタンとライス
が二つずつ」と注文をするのです、炭鉱育ちの人なら分かる
と思うのですが、なぜか最初に沢山頼みます。

ちなみに「なんこ」とは産炭地に伝わる「馬肉の腸の煮込
み」のことを言い肉体労働の方たちのスタミナ源でした。
ただ、あたくしの家で「なんこ」と言えば豚のホルモンのことを
さします。

一度、おやじと二人だけで食べに連れて行ってもらった記憶が
あり、多分おやじが仕事で使うノコギリのメンテナンスの帰りだと
思います。炭鉱は一番方、二番方、三番方とあり24時間交
代制で一週間ずつ一番方~二番、三番方とシフトしていくので
、ですからホルモン屋さんも昼の12:00~営業をしているので、
ちょっと街へ言った時にも食べれました。

よくおやじは「昔、恵久ちゃんマスターにホルモン屋をやらないか
?儲かるぞ」と誘われたんだと言っていました。「どうしてやんなか
ったの?」と聞くと「いいよ、俺は食う方専門だ」と言ってうまそうに
ホルモンを食べていたもんです。

元々、じいさんもおやじも隣町の炭鉱町で「茂尻の雄別炭鉱」に
いて、「恵久ちゃん」も茂尻で商売をしていたので多分その頃に誘
われたんでしょうきっと。こうして見ると「ホルモンはスタミナ料理」なの
で産炭地には付き物だったのでしょうね。

最初に兄貴とあたくしら子供に腹いっぱい食べさせて、食べ
飽きたあたくしと兄貴は500円ずつもらいと二人店を出てなんかヘン
テコなゲームしている間におやじとおふくろは、ようやくゆっくり食べれ
るといった風に「ホルモン」をチビチビ食べていたもんです。

「欽ちゃん」を限りなく芦別のホルモンの味に近づけたのは、きっと
「おやじ」を思い出せるからなのかもしれません、塩ではなくタレでね。

欽ちゃん。

気恥ずかしいのですが、今度おふくろ欽ちゃんに連れて行こうかなと。
多分、ダメだしされると思うけどね。

おやじが死んで10年が経ちます、本当はまた家族で「恵久ちゃん」へ
ホルモンを食べに行きたいんです、本当は。

あたくしが小学生だった頃のままでね。。。。。