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時には昔の話を。

昨日、一通の便りが来ました・・・・・。

その前に、以前働いていた会社で弟のように可愛がっていた”荒城堅治”と言う男が居ました。
居ましたと言うのも、17年前に鬼籍に入ったからです。そう、あたくしが独立する前年で
その死が少なからずあたくしの独立を後押ししたのは否めません。

”堅治”はハチャメチャな奴でしたが、その反面もの凄く仲間思いでしたし、あたくしに対しても
いつも気に掛けてくれていましたし、東京勤務になり札幌へ帰って来た時には必ず
一緒に朝まで飲んでいました。(笑)

また、可愛い子や人懐っこい子が大好きで「オーッ!」と笑顔で近づいて来てはそのような子を
お姫さま抱っこをしたり、二の腕なんか触っていましたね、堂々と。(笑)

でも、”マキ”が「荒城部長!お帰りなさい!!」と近づくと、「あっ、”マキ”はいいから」と
これまた堂々と遠ざけていましたね。(笑)

札幌に居た時には家に呼ばれましたし、子供の運動会にも呼ばれました。
”琢磨”と言う子で「たっくん」と呼んで皆で可愛がりました。機関車トーマスが好きで
いつも「トータシュ、トータシュ!」と言っていましたっけ。
三歳位でしたね。

”堅治”はよく朝方帰る時に日の出に向かって「ウオーッ!!」と道の真ん中で叫んでいました。
ビアガーデンでお客さんが来ないと言えば、「部長、ビアガーデン会場にうんこばらまいて
来ますか!」と真顔で言ったと思えば、原価を下げる為に大通公園でハトを捕まえて行こうとしたり、
朝のテレビで見た赤色の矢印は人を誘導すると言うのを見たら、その日に店がある2階への
階段の所に赤い矢印を付けて見たり、ビールの樽が無くなったと言えば下の店から勝手に持って
来たり、暇だからとバイトを1時間で上げては常連さんの隣で飲み食いさせ待機させて、
忙しくなったらまた働かせたり(もちろん、その間は時給は発生しません)。

羽田空港にあたくしを迎えに来て「僕はもう東京はバッチリです!!」的に格好つけようと
したら、思いっきり道に迷い空港の敷地を何度も周り、やっと出たと思ったら行く店の反対方向へ。
結局店のスタッフに電話で誘導されながら1時間位で着く店に2時間半も掛かって
見たりと、やることなすこと飽きない奴でしたね。
33歳の短い人生でした。

その後も”堅治”のお母さんや弟、それと元嫁とは連絡を取っています。
元嫁とは年賀状でのやり取りですが、”たっくん”の成長度合いを教えてくれます。
今の旦那さんと幸せに暮らしているので安心しています。

昨日、一通の便りが来ました。
それには「ごぶさたしております。昨年 琢磨結婚し、暮れに孫が誕生しました。
琢磨の赤ちゃんの頃にそっくり。 みんな元気にやっています。お元気ですか、会いたいですね。」
と言う内容でした。

「トータシュ、トータシュ!」と言っていた”たっくん”が結婚して赤ちゃんを。(笑)
どうりで年を取るはずです。。。。。

追記”丸か”に関わる、そして関わった人たちが幸せになりますように。ファイル 3662-1.jpg
ファイル 3662-2.jpg
ファイル 3662-3.jpg
ファイル 3662-4.jpgほらよ、”堅治”。(お前がじいちゃんって。笑)
良い動画だな~。
また一緒に飲もうな。