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根本は”感謝”があったんです。

「加藤はどうしてそうなんだ?」
そうなんだ?とは、なぜ、そこまで熱く会社(仕事)に打ち込めるんだ?
と言う、あたくしの考えも含めてのニュアンスだったと思います。
「私心がないからじゃないですかね。」と言うのがあたくしの返答でした。

幕末の英傑の”西郷隆盛”がこんなことを言っています。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は扱いに困る。
このような人でなければ、困難を分かち合い国家の大きな仕事を成し遂げる
ことはできない。」と。

そう、「私心がない」と格好いいことを言いました。
プライベートではダメダメでしたが、会社のことを常に考えていました。
それで時には”社長”と意見が違って感情的になることもありましたが、
あたくしとしては、会社のことを思えばのことなので臆することなく自分の
意見を言えました。それは、他の上司やどの役職の人にもです。

あたくしは常々言っていました。
「俺は金太郎飴のように、どこを切っても”タスコ”しか出て来ないんだ。」と。

まぁ、設立メンバーと言うこともありましたけど、まだ会社やお店が数店舗しか
ない時から必死になって「なんか分からないけど、一所懸命やってれば何か良いことが
あるんじゃないか。」とやって来たんですね。
なので、いつでも命は投げ出す覚悟もありましたし、役職やお金にも
分相応で充分でしたからね。

何度か「取締役に」と言われましたが、その度に断りました。
また、年収を「これくらいで」と言われて「いえ、今の業績では多すぎます。
今もらっている給料で充分です。」ともね。

そんなことよりも、会社をどのようにしたらもっと良くなるか?
一緒に働いているスタッフが良くなるか?が、最優先でしたね。
その立場で物事を判断して意見していたので、やはり煙たい存在だと思う人は
いたと思います。
だって、守るものがなく堂々と正論をぶちかますから質(たち)が悪い。(笑)

守るものは会社とスタッフ。
常にそのことを思い、熱く語っていましたね。

現在、”(有)丸か加藤商店”はどうなのか?当時のあたくしのように「会社の事を思い
時には社長や周りとぶつかるくらいの情熱のある人間はいるのか?」と思うのです。
当時の“社長”もそうでしたが、違う意見や耳の痛い話でも「こいつは会社のためを
思ってるんだな」と言う思いや熱意を感じたら腹を立たせるどころか、「ありがとうな」と
思うものです。。。。。

追記 あたくしが好き勝手出来たのは、そのような環境を与えてくれた”社長”を
始め一所懸命に働いた(戦った)仲間たちのお蔭なんですね。なので、あたくしを
はじめ今現在一緒に働いているスタッフがどこまで”思い”を共感・共有できるか。
まぁ、それはあの頃の”社長”もそうですが、最も影響を与えるのはあたくしなんですよね。

あと、こんな自分がこうして一所懸命に働いて生きていられる場所を与えてくれたことに
感謝があり、そのような場所を他の人たちにも味わって欲しかったんですよね。。。。。
「人との関わりを大切にし、上辺だけじゃなく本質を語り
人間の成長のためには一緒懸命に努力する。」
で、その先に「テーブルを囲む笑顔を作り続ける」集団でありたいです。。。。。