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歴史、好きですね~。(笑)

何だか、今回の大河ドラマ『真田丸』が好調のようですね。
あたくしも歴史は好きです。
特に戦国時代~安土桃山時代が好きで昔から本や大河ドラマを見て来ました。

けど、ここ数年は見ていません。
一度見たら、最後まで見なくてはいけなくなるし(嫌でなければ)、
また、最近は出てくる主人公のストーリーがほとんど分るので見なくても
大たい「あ~、これね」って感じだからです。たまに、奇をてらって「女性から
見たもう一つの00」とか、視点を変えたのもありますが、何となく「ん?」と
言う感じがしてイマイチなんですね。

ただ、ここ最近は先進技術が発達したのか?新発見や新しい事実などが
発見されていますので、その辺をやって欲しいのですが、でもきっと明治以降の
通説になったものでないと受けないんだと思います、残念ながら。

例えば、明智光秀が主君である織田信長を討った理由がいまだに解明されて
いませんが、歴史上では「明智光秀が信長に恨みを持って・・・・・」が一般的ですが、
そのおかげで小さい時から屈辱と汚名を着せられた光秀の子孫(光秀の側室が
産んだ子の子孫だそうです)が「本当はどうだったんだ!」という事で、なんと!
50年もかけて調べ上げた会心の一冊でもある「本能寺の変 431年目の真実」を
読みましたが、かなり興味深い発見がありましたよ。

ただ、どうしても子孫が書くので見る人から見れば「どうせ、身内びいきだろ!?」
と思われる可能性も無きにしもですが。(笑)

あと、九州地方の勃興を見てみたいですね。
豊臣秀吉が来なければ九州を統一していた島津氏とか、同じように九州で
覇を競った大友家。大友家はその家臣がもの凄く興味深いキャラが沢山いて
最終的には立花宗茂までいってほしいです。秀吉から「東の本多忠勝、西の
立花宗茂 東西無双」と言わしめた人物で、70歳で島原の乱にも参謀として
参加して、そこでも活躍し諸大名に「武神再来」と嘆賞された人物なのです。

ここまで書いて何なんですが、やっぱり”織田信長”は魅力ありますね。(笑)
信長、最大のターニングポイントでもある今川義元を桶狭間で破った合戦の出陣前に
舞ったとされる「幸若舞」で演じられる「敦盛」の一節を好んだのも信長らしいですしね。

現代風では「人間五十年、下天のうちにくらぶれば 夢幻のごとくなり。
一度生を受け滅せぬ者のあるべきか 。」
人間の一生は所詮50年にすぎない。天上世界の時間の流れに比べたらはかない
夢や幻のようなものであり、命あるものはすべて滅びてしまうものだ」と言う意味ですが、
信長はこの「人間五十年・・・・・」を「所詮人生は五十年しかないのだから、
決死の覚悟で思い切ってやってみるぞ」と、また、「死のうは一定(いちじょう)、
しのび草はなにをしよぞ、一定かたりをこすのよ」という小唄も好んで口にしていた
といいます。
「人は必ず死ぬ。生きているうちに何をしようか。それが自分の生きた証(あかし)に
なるのだから」と言う覚悟をなんだと言っていたとか。

失敗=即ち″死″を意味していたあの時代の人間(武将)達の言葉がまたたまらなく重くて
心にぐっと来るんですよね。。。。。

追記 ついつい、歴史の話になると熱くなりますね。(笑)
あっ、実はあたくしが好きなのは”楠木正成”と””蒲生氏郷(うじさと)”ですね。
その次に”真田幸村”と”大谷吉継”ですかね。もういいって・・・・・。(笑)
ファイル 2573-1.jpg文武両道と言われた”蒲生氏郷”の具足です。かっけぇ~!!