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豪傑な人たち。

本日、会議の前に資料などを調べていると、ランチの
やまさんが、「なんか、25年来の付き合いの人だと言って
いる人が来ています」と名刺を渡してくれました。

正直、あたくしヘッドホンなんぞをして、堺正章の「忘れもの」
などを聴きながら、月曜の真昼間から感傷に慕っていたので、
少し、めんどうクセーなぁー、なんて思いヘッドホンを外し名刺に
目をやると、
ファイル 131-1.jpg
なんと!!ちかしさん!!!

先日、祥子とハルの誕生日に会った時に偶然「ちかしさん」に
会って、「今度、加藤さんの店にランチを食べに行くね。」と言っ
たことを覚えていてくれたんですね。

やはり、ススキノで34年間もお店を続ける人は違います、
本当にあたくしなんて「小僧」です。

「かとうさん、居たんだ、いないと思ってたけど。」
「いましたよ、どうしたんですか?ちかしさん?」
「前からランチ食べに来ようと思っていて、それで11:30に仕事
が終わったので、いい機会だから来たの」

「いい機会だから来たの!?って・・・・・」。ちなみに、ちかしさんは
深夜0:00~お客さんがいるまでお店を開けています、一人で。
しかも、ビールを勧められるとビアタンで一気に飲み干します、34年間。

「大丈夫?ちかしさん?店でも飲んでいたんですよね」
「うん、店で飲むのと、終わってから飲むのとでは違うから
これから家に帰って2、3時間寝てから晩酌をするんだよ。」って、ちかしさん
ほとんど飲みっぱなしじゃん。ちなみに現在61歳とのこと・・・・・。

「取りあえず、一杯やりますか!」 「えっ、はい・・・・・」
結局、横でランチを食べている「リーマンブラザース」の人を尻目に
ビールを2杯ずつ飲みました。

「かとうさん、何かつまみはないの?」。
やはり「ツワモノ」だった。

あたくし、高校を卒業をして建築業にいたことを以前にも
書きました。「国際技研」というのですが、国際どころか普通に東区で
やっていた建築業なのですがね。

現場には、鉄筋屋、型枠大工、電気屋、左官屋と様々な
職業やそれに連なる人たちが働いているのですが、やはり
世間的に「ガテン系」と言われる人立ちは比較的ユニークな人たち
が多いんですね。

今日は、ちかしさんと真昼間から飲んで少し気分がいいので、
思い出した話を一つ。

それは、あたくしの班(3名一組)が静内のショッピングセンターの
現場へ行った時に、鉄筋屋の親方がおりました。白い上下の
ニッカボッカという「いかにも」と言う、いで立ちの人でかなり張りきって
いたのですが、

翌日、その現場に行くと、人だからが出来て何やら
騒々しい、それであたくしの班長が「どうしたんだ?」と聞くと、
「いやね、親方が休みで仕事が思うように進まないんだよ」と。

「図面があるんだろ?」 「まぁ、一応あるにはあるけど、それが・・・・・」
「なに?」 「いや、それが・・・・・、その図面が・・・・・。」
「図面がどうしたんだよ?どら、見せろよ。何だ!?この図面は???」

「いやね、そうなんだよ、あの人が書いた図面は他の人が見ても
ちんぷんかぷんで、分からないんだよ書いた本人にしか。」
「電話しろよ」 「いや、あの人給料が出ると一週間は出てこないんだ、
しかも、ずーっと酒を飲み続けて連絡もとなれない。」と。

あたくし、その会話を聞いていて「なんだか、いいな~、気持ちいいだろな~」
と一人ニヤニヤしていたのを思い出しました。

それにしても、給料が出たら一週間は飲み続けて出てこない、しかも連絡
もつかないなんて、いっけん無責任のようですが、って完全に無責任なのですが、
だからこそ、それまでの3週間をめい一杯に働いているんだろうな~。
と、結構、あたくしの好きな生き方だったりもします。

昔からのあたくしの『夢』の一つに、一年間のうち半年間を休みなく
めい一杯に働いて、あと半年間を「もう、休みなんてイラねぇー、そろそろ
働きたい!」と言う位に遊び疲れて、また半年間狂ったように仕事をする
のが『夢』でもあるのです。(ただの怠け者か?)

それにしても、
なんだか、最近『豪傑』な人が少なくなってきました、昔は結構そのような
友人や先輩や上司なんかがいて、その中で人生を学んで来たものですがね。

『豪傑』か・・・・・。