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”鉄の女”

昨日、『マーガレット・サッチャー鉄の女の涙』を観て来ました。
知っているとは思いますが一応説明しますと、英国初の女性首相
になった方です。

東西冷戦の時に敵側である”ソ連側”から”鉄の女”と呼ばれて避難
を受けましたが、彼女自身はその呼び名を気に入り、その他のメディア
でも取り上げられたので以後”鉄の女”が代名詞になったのです。

あたくしが最も尊敬する政治家の一人です。

マーガレット・ヒルダ・サッチャーは1925年、イングランド東部にある
リンカンシャー州グラサムで食料雑貨商の家に生まれます。

彼女を尊敬する理由は第一に”信念”がしっかりしている。それと
”愛国者”だと言うことです。政治家としてもそうですが、一人の
人間としてもです。

それは市長も務めた経験のある彼女のお父さんの影響もあります。
「質素堅実」「自己責任・自助努力」が家訓で、小さい頃から
お父さんと政治の話や世界情勢について議論をするのが好きだったと
著書に書いておりました。

時にはお父さんと激論になりますが、一歩も引かなかったことも
あったそうです。

男ばかりの議員に入り、「所詮、雑貨商の娘」と陰口を言われながらも、
1979年〜1990年までの約11年半英国の首相を務めました。

首相になってからは強いリーダーシップでいくら非難を受けようと
「国を守る!」「強いイギリスの復活!」を掲げ、新自由主義に基づき
電話・ガス・空港・水道などを民営化させて、規制緩和・金融システム
改革を断行しました。

その改革の妨げになっている”労働組合”はストや
ボイコットばかりやっていたので、「立てるものは立ちあがりなさい。
そして働きなさい!」と言い放ち、様々な所得税・法人税率を大幅に下げて、
消費税を8%から15%に引き上げました。

中々景気が上がらなく失業率も増加してデモなどは頻発しましたが、
「これを乗り越えなければ英国は復活できない!」との信念から、改革を
推し進める最中に、あの有名な”フォークランド紛争”が勃発するのです。

南大西洋にある”フォークランド諸島”にアルゼンチン軍の侵略に対して、
財政難及び支持率低下で苦しんでいる中でも、彼女は英国軍を派遣して
戦死256人、負傷者777人を出してまでも3ヶ月で奪還しました。

この時の言葉が「人命に代えてでも我が英国領を守らなければならない。
なぜならば国際法が力の行使に打ち勝たねばならないからである。」と
言いました。

つまり、どんな小さく本国から離れた領土でも国家そのものであり、その国家なく
しては国民の生命・財産を守る根拠がなくなるのだと。この辺は日本の政治家と
は大違いですね。

その結果、彼女に対する支持率は上がり経済改革も断行して景気が
良くなり、彼女が目指した「強いイギリス!」が復活したのであります。
(因みに強いポンド信じて、ユーロ入りを断固反対したのも彼女でした)

あたくしはこのような政治家が日本の”リーダー”になることを強く望みます。
それが出来るのは現在”石原都知事”か”橋下市長”位かも知れません。
あたくしは特に”石原都知事”に大きく期待します。

「傲慢、右翼、軍国主義者」などと言われますが、それは敗戦後の日本の
歪み教育や物事の本質から逃げてきた目で見ているからです。

いちいち大衆やマスコミに媚びずに、日本を破壊させようとする左翼陣営にも
「バカ野郎!」と言えるし、シナや韓国・北朝鮮に対しても国益のために
主義主張をハッキリと言える政治家なんて残念ながら他にはいませんからね。

傲慢?嘘のマニフェストで国民を騙して強引に消費税を上げようとする
政治家や政党はどうなんですか?右翼?軍国主義者?では、ありもしない
”南京大虐殺”や”従軍慰安婦”、竹島は日本の領土ではない!などと
ほざいている政党や政治家及びそのような団体は愛国者ですか?

日本の領土でもある”尖閣諸島問題”でも、媚びへつらって役人に任せた
政治家は本気で日本を守れるのですか?

このままだと竹島もそのまま、尖閣だけではなく沖縄も左翼陣営から
シナへ献上されるばかりか、日本自体が無くなってしまうのではないか?
と本当に思うのです・・・・・。


1991年、今から21年前。一人の青年が仕事明けに寝ないでシャワーだけを
浴びて、ジージャン上下で札幌グランドホテルのロビーをウロウロしていました。

それでなくとも顔色の良くないその青年の姿は周囲からは奇異の目に晒されながらも
ある一人の人物が来るのを待ち続けていたのです。1時間、2時間、3時間近く
待っていると数台の護衛の車と一台の英国製の”ジャガー”が見えました。

その青年は「あれだ!」と思い、物々しい警備と人垣の隙間から精一杯に背伸び
をしていると”ジャガー”から一人の小柄ではあるがとても品があり、それでいて眩し
すぎるほどのオーラを放つ女性が降りてきて、手を振りながらホテルの中に入って
行きました。それは一瞬の出来事でもあり、また一瞬時が止まっても見えました。

それから2時間ほどその青年は近くの本屋で本を買い、ロッテリアで時間を
潰しながら、再び彼女が出てくるのを待ちました。

約2時間後、今度は講演をしている2階で待っていました。遠く離れた階段で。
すると20メートルほど先にある講演会場の扉が開き、数人の警備に守られながら
出て来た彼女にその青年の周りにいた7,8人から「わぁ〜」と小さな歓声が上がると
彼女は進行方向とは違う青年達に気づき”クルッ”と向いたかと思うと、
その青年達のいる方へ歩き出して来ました。

恐れ多いことに、そこにいた青年を含めた7,8人全員と握手をして下さいました。
もちろんその青年も緊張の面持ちで、その女性と握手を。

今でもハッキリと覚えています。あのブルーの澄んで優しい目の奥に、しっかりと世界を
見据えて戦ってきた”信念の目”を。

あれから21年が経ち、その青年は映画館で彼女の半生を描いた作品を観ながら
昨日の事の様にあの澄んだブルーの瞳を思いだすのでした。。。。。

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その時に買った”本”。