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輝く人たち、最終回。

~前回までのあらすじ

自動車事故で両足切断、手術による激しい痛み、
加害者である若い女性の自殺、車椅子マラソンとの
出会い。
その車椅子とそれに無心で打ち込む人たちとの出会いが
、鈴木さんに「夢や目標」を失いかけていた大切さを呼び
覚まさせてくれました~。

リハビリを終えた鈴木さんは、中学に復学しました。
車椅子の自分を受け入れてもらえるかどうか不安で、
養護学校へ行くことも考えましたが、

周りの人たちの理解もあり、スロープや手すり、トイレなどを
リフォームをして学校は受け入れ態勢を整えてくれたのです。

友達も車椅子の鈴木さんを温かく迎えてくれました。
仲の悪かった友達ですら、いつも気遣ってくれるのを見て
「人間って分からないものだな」と思ったりもしました。

運動会でも車椅子で参加したりと、それなりに充実して
いましたが、ただ、修学旅行の時に少し悲しい思いをしました。
少しよそよそしく感じたと言うんです、もちろん自分達も思いっきり
楽しみたいだろうし、付き添いのお母さんに気兼ねしたのもあるの
でしょう。

「お荷物扱いされてるな。やはり自分は別なんだな」と、忘れ
かけていた障害者としての辛さを痛いほど感じたそうです。

しかし、この頃、漠然とながら将来について考えるようになって
いました。それは小学生の時に憧れていた教師の夢です。

他にも医療関係者に親切にされたこともあり、そちらの方向も
考えましたが、忙しく動き回ったり、患者さんを支えるのは
足のハンディのことを考えると断念せざる終えませんでした。

それで、地元で障害児教育を学ぶことが出来る、愛知教育
大学に進路の的を絞ったのです。が、ここでもある思いを
抱きます「障害のある私が本当に教師になってよいのか。
何か緊急事態が発生した場合、子供を守ることが出切るのか。
父母の理解は得られるのか」という悩みです。

鈴木さんは、大学の先生に相談しました。すると「確かにそうかも
しれないけれど、やってみなきゃ分からないじゃないか。やらない内か
らあれこれ考えても始まらない。この先、同じ道を歩こうとする人
のためにも、あなたが道を開きなさい。もしそれで、どうしても駄目
なら途中で辞めたらいい」

とアドバイスを受けて、「そうだ、やってみるか」と気持ちが吹っ切れた
たのです。

鈴木さんは現在、四年生のクラスの副担任と算数の少人数指導
をしています。放課後はソフトボールの指導にあたり、それから次の
日の準備に取り掛かります。

授業では板書きする時は義足をつけたり、車椅子で膝立ちなどです。
ソフトではキャッチボールもするし、バッティングのコーチもします。
最初は違和感をがあった子供たちも、毎日一緒に過ごすことで、障害
者という目で見なくなくなったのが嬉しいとのことです。

鈴木さんは言います、私は事故で両足を失いました。しかし、事故に
遭ったおかげで、私たち人間は一人で生きているのではなく、多くの人
に支えられながら生かされている、自分を必要としてくれる誰かが必ず
いるという、とても大切なことに気づきました。

高校卒業まで毎日学校に付き添ってくれた母の苦労を思う時、「自分
みたいなちっぽけな人間は死んでしまってもいい」と考えた当時の自分が
とても恥ずかしくなりますと。

「もう一つ、私は事故をきっかけに夢を持って生きることの大切さを知りました。
夢、目標を持てば現在やっていることに価値を見出せるし、それに向かって
現実的、計画的に歩いていくことは人生で輝きだすと思うのです」とも。

鈴木さんは、「健常者の頃と車椅子になってからの人生を選べと聞かれたら、
間違いなく車椅子の生活を選びます」
とキッパリ答えています。

その理由は、もし私が健常者だったら、一生このことに気づくことはなく、
自分の行く道を探りながら悶々(もんもん)としていたと思うからです。
少なくとも現在のような充実した毎日を送っていなかったでしょうと。

子供たちには「生きている時間が100%だとしたら、それを使い切る勢いで
生きるほうが絶対に格好いいよ。そのためには夢や目標を大事にすること。
オリンピックやパラリンピックの選手があれだけいきいきとしているのもそのため
なんだ。 だからもっと皆も輝き放つ人になってほしいな」と。
「致知(ちち)」 2007年12月号より。

今現在、パラリンピックが開催されています。どうして、TV中継もマスコミ
も、浮かれた芸能人もインターネットもあまり話題にしないのでしょうか?

手や足のない姿を見せるのが嫌なのでしょうか?痛々しいのでしょうか?
目の不自由な人が出るのが不憫なのでしょうか?それらを子供たちに見せる
のが残酷なのでしょうか? 恥ずかしながら、あたくしも街で体の不自由な人
を見かけたりすると、言い知れず心が痛みます。

それは可哀想とかよりも、どこかであたくし自身が偏見の目、いいえ、
もっと言うと偏見の『心』を持っているのでしょう。それを少しでも相手に
悟られないように、少しでも自分はそんなんじゃないと自己弁護しようと
しているのです。

しかし、こうも思うのです。あたくしのような人間が五体満足なのに、
「何かいいことないかな~」って、何一つ不自由な体でもなく、人から
奇異の目や哀れみの目で見られはしないのに、他愛のない不満や、
時には運がないと嘆いてみたり。

だからなのか、「お前のどこが不幸なんだ?」って自分に問いかけられている
ようで、とても身につまされるのです。

昨日まで、普通に生活をしていた人が突然の事故に遭い障害になったら
どれほどのショックでしょうか?いえ、その家族は?奥さんは子供は?
今回のパラリンピックでそのような人たちが大勢出ています。

その背景を伝えながら観戦すると、俄然力が入ります。残念ながらアナログ
TVしか映らないあたくは、熱血元テニスプレーヤーや、人気お笑いコンビの
口の悪い相方や、朝のワイドショー番組の自称オリンピックマニアのキャスター
の中継ではなく、NHKの午前中に約50分間(しかも録画)を見て一人
感動しています。

この映像を見ただけで、
TV局もマスコミも、もっと宣伝すればいいのに、普通のオリンピックより
感動するのにと思いますよ、きっと。

最後に、
「健常者の頃と車椅子になってからの人生を選べと聞かれたら、
間違いなく車椅子の生活を選びます」
。 
あたくしのような心の弱い人間はとてもこのようなことは思えません・・・・・。
「右真中のダイジェスト」←ここクリックですよ。(小川さん怪しくないよ)