欽ちゃん本店
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炭鉱町の夏と笑顔。

  • 2018/07/01 00:50

いよいよ7月に入りました。
芦別は豊富な山間部なだけあって冬はスキーも盛んでしたが(因みに私は
ボブスレー以外は苦手でした)、やまはり子供たちは圧倒的に”夏”の方が
人気があったように思います。
 
盆地なので確かに暑い!
けど、子供には夏の暑さんて全く気にならなく、汗を掻きながらでも夏休みなんかは
一日中遊んでいたから、男子女子問わず健康的に日焼けしていました。
 
野球、サッカー、釣り、プール、十字架ポン、缶蹴り、手打ち野球、家のまでビニール
プールで遊んだろ、スカイを食べたり、単純に朝から夕方まで自転車を乗ってたりと・・・・・。
また、夜になると各家の前や公園では花火を楽しんでもいましたね。
 
それと何だか”夏”は大人も子供も皆、表情が明るかったような気がします。
第一売店の三北商事が西芦の駅前からボーリング場(その前は映画館)へ移転して、
じいさん、ばあさんが老人ホームの管理人をやっていて近かったのと、学校帰りの通り道
だったので、それまでほとんど第二売店だったのが利用頻度が上がりました。
 
友だちの”島田よしの”と言う子のお母さんがその第一売店に入ると右横にある
食堂で働いており(駅前の時は入って左横)、「”よしの”のお母さん!」と言いながら
醤油ラーメンを食べた記憶があります。(なぜ、叫んだのだろうか?)
 
当時、今のようにビニール袋なんかはなく、各家庭で買い物かごを持って買い物を
していました。で、売店(配給所)ではピンク色の紙をくれてそれを買い物かごの
上に乗せていました。子供心に「何を買ったか見られないようにかな?」と思って
おりました。今にして思えば、それもあるけどゴミ等などが入らないようにとか、
夏の直射日光や雪が入らないようにと言う配慮もあったのかな~と。
 
懐かしいです、お母さんたちが籐製の買い物かごを笑顔で持っていた姿。
自然にエコをしていたんですよね。

おふくろが持っていたのはこれ


 
そう、炭鉱町の短い夏は道行く人々がみんな笑顔でした。。。。。

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