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女子も普通に日に焼けてたな~

  • 2021/07/01 00:52

同級生の女子が今では考えられないけど、
小学生や中学の頃は、僕らの時代の女子は普通に
日焼けしていて、もの凄く健康的だった。
で、殆どがショートカットで、「段カット」呼ばれて
いた髪型をしていました。少しませた女子は「聖子ちゃんカット」。

考えてみると、当時のアイドルと呼ばれてる歌手なども
日に焼けていて、CMでも「マクロネシヤ人~♪」など言う
今なら「人種差別だ!!」と訳の分からない非難をSNSで
書き込む人もいますが、あの頃はだ~れも気にしてなかった。

郁恵ちゃんなんて、ショートカットで健康的で歯がとんでもなく
白くて、本当に健康的でした。沖縄出身の南沙織さんだって、
なぜか?親と一緒に見ると恥ずかしくなるアグネス・ラムさんも
世界健康優良児で優勝したんじゃいのか?と思うほど、
日焼けして健康的でした。(スタイルも)

今度、同級生の女子とその話で盛り上がり、
出来れば、今さらながらに日焼けしてもらおうと思います。

絶対に断られるけど。

https://www.youtube.com/watch?v=qZ4N4fDKKqo

集団予防接種

  • 2021/06/01 00:02

現在、日本だけではなく世界中でワクチン接種の話題が毎日に似ように
流れています。私たちが小さい頃は針が何本も付いてるBCGワクチンや
何のワクチンだったか分かりませんが、結構痛くてボコっと痕の残る
注射のワクチンをしていました。(BCGも痕が残ってるけど)

幼稚園か小学生の低学年だったので、接種を受ける時には皆の顔が
緊張していました。しかし、中にはおどけてる生徒もいて「よく、こんな時に
いっぱい話すんな?」と不思議に思っていましたね。

中1の時に親友の“むら”と芦別に遊びに行った時に「缶ジュースをもらえるから」
と、献血をしたのですが、後日「あなたの血液は人へ輸血できません」と言う
通知だか、その場で言われたかしました。何とかかんとかの陽性で、
要は「B型肝炎」なんですね。きっと、集団接種だと思います。

炭鉱町には肝炎に感染する人が多いみたいで、針を十分に消毒していないで
使いまわしが原因の一つなんだそうです。数年前に緊急で病院へ行った時に
「持病や何年か以内に手術をしましたか?」と聞かれたので、「B型肝炎です」と
答えると「出身は?」と聞かれ「芦別」と答えると、「あぁ~、芦別は多いんだよね」
と言っていました。

いま、テレビで「小さい時の集団接種によるB型肝炎に感染した方に最低50万から最高0000までもらえます。」と言うCMを見ます。きっと私は年月も経っているので最低50万ラインだと思いますが、その弁護士事務所へ連絡しようとは思いません。
なぜか?何だか地元を訴えるようで気がすすまないんですね。それで50万をもらっても自分を育ててくれた、そして想い出のいっぱい詰まった故郷を訴えてもらったお金は
どうもしっくり来ませんからね。。。。。
  
https://www.youtube.com/watch?v=k9UJs3TR_KU

鯉のぼりの想い出

  • 2021/05/01 00:26

小さい時に、じいさんとオヤジとで山へ笹を採って来て
何メートルもある棒の先に付けて、その下に鯉のぼりを何本か付けていました。
時期的には、確か茂尻から西芦に来たばかりの年か翌年位(昭和45年前後)だっと思います。
記憶では、その年限りだったような気がします。

その鯉のぼりも今風なライトな色鮮やかなのではなく、黒い鯉のぼりは
まさしく炭鉱町に合わせたような“石炭黒”と言わんばかりの“真っ黒”で、
黄色い鯉のぼりは大漁旗にあるような、これまたレモン色系の黄色ではなく
「これを“黄色”と言わないで何を黄色と言うんだ!!」と言うくらいな
大変自己主張の強い黄色でしたね。(笑) なので、お母さん鯉のぼりの“赤”も
推して知るべしな“赤”でしたね。(笑)

今にして思えば、オヤジは40手前でじいさんは60歳位。
今の私の年はどちらかと言うとじいさんに近い年齢になりました。
山間の西芦の5月初旬はまだ肌寒かったのでしょう、じいさんは黒い襟なしの
ジャンパーを着て、オヤジは小豆色のアノラックのようなを着て二人で鯉のぼりの付いた
棒を立てていました。

年を重ねるに連れ、何の責任も不安もなく、当たり前のように日常を過ごしていた日々も
こうしていつかは思い出になることを気づかされます。。。。。

https://www.youtube.com/watch?v=dIjUG-T2Fk4

初々しい新入生

  • 2021/04/01 00:31

小学生の時も中学生の時も2年生になる頃には、
もう学校に慣れて勝っても分かり、様になってきています。

4月「入学式」
新入生が緊張の面持ちで背の低い順に整列して歩いてきますが、必ず毎年
先頭の男の子が小さくて参列してる父母が「あら~」と微笑ましい
声が上がっておりました。

特に中学生の「入学式」はサイズ的に学生服がブカブカで袖も丈も
長くて大人たちから見たら可愛いのでしょうね。

でも、それが高学年になるに連れ、そして卒業の頃には背も伸びて
居たりして成長を感じます。

子供は環境に順応するのが早くて、一週間もするとクラスメートにも慣れて
満面の笑みではしゃぎまわり先生に叱られていますからね。

そう、今でもあの頃の同級生に会えていることに感謝しています。。。。。

https://www.youtube.com/watch?v=xO_Bi0duiyE

短い春休み

  • 2021/03/01 00:00

3月は卒業シーズンと共に在校生は新学期までの間は“春休み”です。
夏・冬の休みと違い“春休み”は二週間あるかないか。しかも、”春休み“は
プールや魚釣りやクワガタ採りも出来なく、雪も殆どないのでスキーや
ミニスキーなどと言ったウィンタースポーツもしないので、もっぱら
家で遊ぶか、少し早い自転車を漕いでいるかです。
まぁ、中学生や高校生ともなると部活や友達と遊んでいましたが、
小学生の頃は殆ど家に居てプラモデルを作っていましたね。

先生が転勤するのもこの時期です。また、友達もこの時期に転向することも
ありましたが、炭鉱は巷で言うところの職員を除けば3月、9月が異動や
転勤シーズンではなく、急に転向して来て、また急に転向して行くと言うのが
日常茶飯事でありました。今で言うところの“大人の事情”ってことでしょうね。

夏休みや冬休みほど派手でも楽しいこともなかったけど、今にして思えば
“春休み”は、また一つ(一学年)万物の芽生えと同時に、まだまだ子供ながらも
確実に芽生えを、今か今かと待ち遠しく感じる時期でもありました。

「基地」~冬編

  • 2021/02/01 00:30

夏は公園内の敷地で「基地」を作りましたが、冬は家の前の
雪捨て場になってる所で作りました。炭住の通路を挟んだ向えには
石炭小屋が付いた物置があり、犬を飼っている家は犬小屋なんかも
あります。
 
なんせ、これでもか?と言うほど雪が降るので、その分雪かきで
溜まった雪はこんもりとあります。小山のようになっている場所に雪を
固めたり、氷を使って基地内のように作って行きます。そんなに固まって
いない時はズボズボと長靴ごと埋まってしまいますが、時間が経てば
踏まれて足元もいい感じになって行きます。
 
まぁ、いつも一人で遊んでいたので、当然1人何役もやって永遠と
遊んでいましたね。家の中に入るタイミングは、足がかじかんで来た時が
帰るタイミングでした。長靴の中には雪が詰まっているので、その長靴を
脱ぐのが一苦労なんです。手を使っても脱げないし、長靴を前に振っても
中々脱げないので、最後は玄関に手をついて四つんばいになり、長靴を
後ろに蹴るようにやってようやく「スポン!」と脱げるのですが、その時に
雪の塊もドバッ!と出て来て玄関にばら撒かれるんですね。
 
そうしてやっとのことで家に入りストーブの周りに長靴を湯沸かし器の
ふたの上に手袋や靴下を置いて乾かします。ズボンは履いたままストーブで
乾かしますが、段々と湯気が出て来て熱くなって来るんですね。
 
運が悪いとって言うか、二回に一回は”おふくろ”に怒られてましたね。
なぜか?服もズボンもビショビショだからです。(笑)
 
今にして思えば、”おふくろ”も元気だったんだな~と懐かしくなります。。。。。

しゃくるなよ!!

  • 2021/01/01 00:01

 

一条通から炭住長屋に下りてくるちょっとした坂道(10メートル)に 

子供たちはミニジャンプ台を作って、ミニスキーで遊びます。

一番方の炭坑マンが帰って来るのが夕方なので、それまでは殆ど人や

車が通らないし、人が通っても避けてくれますので。

 

で、数人の子供たちが鼻水をぶったらしながら雪を固めて作ります。

そして、いよいよジャンプ台が出来てテレビで見たようにジャンプ競技の

ように「1番、かとうたかし雪印乳業!」と自分で声を出して滑り出して

飛んだ距離を競い合います。

 

でも、時々ジャンプ台が壊れたり着地地点に穴が空くと、壊した本人が

その都度補修をしまた続きをやるのですが、その時にジャンプ台を「しゃくる」

やつが居るので「しゃくるなよ!しゃくるなよ!」と声を掛けます。

 

「しゃくる」とは、飛び立つ所を上向きにすることです。

 

「しゃくる」と、変な飛び方になり一人バックドロップのようになり、背中を

強く打ちつけて息が出来なくなるので「しゃくるなよ!」と叫ぶのですが、

そこは炭坑マンのクソガキどもなので・・・・・。

 

特に楽しみもない町でしたが、それなりに皆で工夫しながら遊んでいました。

でも、不思議です、子供たちは次から次へと色々な遊びを考えていましたね。

雪化粧

  • 2020/12/01 00:17

芦別は盆地で、その奥へ行く山間にある西芦別や中の丘、頼城などは
夏はクソ暑く、冬はクソ寒くしばれる町でした。
 
何かの用事でたまに冬に帰ると、夜は本当に寒い。また、暗く静けさの中に
あるので、余計に寒く、しばれると言う表現が似合います。ふと思います、
「こんなに寒かったっけ?」と。きっと、子供は風の子と言うくらいだから、
今以上に寒かったけど気にしてなかったんでしょうね、きっと。
 
今にして思えば風呂にドライヤーなどと言うハイカラなものはなく、
「よく、濡れたままで家まで帰っていたよな」と自分でも感心します。
風呂から出て2分程で髪の毛は凍ります。それでも、子供たちは手ぬぐいを
ブンブン回しながら凍らし剣に見たてて、はしゃいでいたものです。
 
街灯や月明りに映った雪が深々と落ちて来るのがとても神秘的で好きでした。
しかし、子供たちはそんな情緒的な感情は直ぐに忘れてしまい、「神様のうんこだ!」
と言い、口を開けながら次から次へと落ちて来る雪を夢中に食べたものです。
 
最近、そんなことをやってない以上に、そうやって雪を見てないな~と。。。。。

上の風呂、下の風呂、六丁目の風呂

  • 2020/11/01 00:03

職員や商店街の人たちとは違い、一般の坑夫が住む炭鉱住宅には
風呂がないので、3つある浴場の内の近い風呂へ行きます。
私の場合は1条五丁目だったので三条六丁目にあった風呂へ行っていました。
 
15時から21時位までやっていて、小学生は18時半、中学生は19時半まで
だったと思います。たまに、何時も行く風呂とは違う所へ行くともの凄くアウェーを
感じて、緊張したのを覚えています。あれって、何時も行くホームに違う風呂から
来ると何となくわかるんですよね。そう、何となく人の目を気にするのが。
また、炭鉱の人でない人が来るとこれもそのぎこちなさから分ります。

上の風呂は「じいじとばあば」が老人クラブの管理人で住んでいたので、その道路を挟んだ
目の前にあったのでたまに行くことはありましたが、下の風呂は炭鉱住宅に住んでいた
約十三年間で数回と数えるほどでしたね。
 
そこそこの風呂場の管理人さんや来てる人の特徴がありました。
六丁目の風呂場の管理人さんは、元々は中の丘スキー場の管理人さんが
私が小6か?中1の頃に来ました。不思議なもので、その前の管理人の方が
長かったのに顔を思い出せません。確か、たまにおばさんも座っていたと思います。
そうだ、その中の丘スキー場から来た管理人さんは、同級生の女子からは
「エロ管理人」と呼ばれていましたね。(笑)
 
今は、家に風呂はありますが殆どシャワーで済ませているので、風呂へ入る機会は
温泉に行った時くらいです。そうだ、風呂場には三、四人も入ればいっぱいになる
薬風呂なるものがあり、そこに入ると体がヌルヌルとして子供心に「なんか、体に
良いんだな~」と思ったものです。
 
一体、あれは何を入れていたんだろ・・・・・。

サム・テイラー

  • 2020/10/01 00:36

昔、家にはビクターの大きなステレオがあり、
”おやじ”が良く、ヘッドホンをして聴いていました。
←まさしくこれ。
 
特にお気に入りは”サム・テイラー”と言うテナー・サックス奏者で
日本の歌謡曲や演歌などの曲を録音したLPもあり、子供心にも
「中々、うまいな~」と思ったものです。
 
ビクターと言えば、ビクターの家電製品を買うと首をかしげた犬の
置物が付いて来て、私の家は小さい犬から大きな犬まで八匹?
くらい飾っていましたね。
 
今とは違って情報が極端に少なかった時代に”おやじ”は何処で
「サム・テイラー」を知ったのかな?と思います。すると、1974年の
「第28回NHK紅白歌合戦」にゲスト出演したとあったので、多分、
その時に知って好奇心旺盛だった”おやじ”が関口楽器店へ行き
買ったんだと思います。
 
きっと、関口楽器店に居た双子の店員さんのおねーさんに自慢げに
”サム・テイラー”のレコードをレジカウンターに出したんだろうな~。(笑)

https://www.youtube.com/watch?v=4vRFMRMMyN8

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