炭鉱祭り
- 2012/05/01 09:10
冬と言えば『コタツ』です。
そしてなぜかコタツの上には、かごに入った『みかん』が 置いてありました。
小さい時は『コタツ』の中に入るのが好きで、ミニカーなんか を持ち込んで一人で遊んだものです。
今と違って「サーモスタット」が付いていない時代で、 ごくたまに消し忘れて“ボヤ”になった、家がありました。
今のはどうか分かりませんが、昔の『コタツ』は通常の テーブルと裏は緑のマット状の麻雀が出来る仕組みなっていて 夜中に小便をしに2階から降りてきたら、大人達が楽しんでいるのです。
『みかん』は段ボールで買ってあって、毎日、毎日手を黄色に なるくらいに食べておりました。一度、2階の部屋にいて何を 勘違いしたのか?段ボールのみかんを半分ほど食べてしまい、 物凄くお腹一杯になり過ぎて、あまりの苦しさに階段辺りまで 這って行き「死ぬ~」と叫ぶと、
お袋が下の居間の『コタツ』から出もしないで「誰が死ぬって!?」 「俺~。みかん食べ過ぎた~」と必死に叫んだのですが、返って来た 言葉が「バカじゃないのかい!そのまま死んでしまえばいんだ!」と、 まったく愛情のかけらも無い言葉を投げかけられるのでした。。
でも、本当に苦しかったんだと思います。 なんせ小学生ながら“胃液”が出て、それがみかんの胃液だった くらいですから・・・・・。
それでも、元気になれば『みかん』を平均10個は食べていました。 お陰でさまで、ほとんど“風邪”を引かないで過ごせましたけどね。
そうそう、冬と言えば昔は『豆炭あんか』という優れものがあり、 ストーブの中に“豆炭”を入れて真っ赤にして、それを“火バサミ”で 掴み『あんか』の中に入れて、それだけだと熱くて火傷をするので 厚手の袋に入れて、寝る1時間前くらいに布団の足元に入れると 寒い布団の中は足元だけ温かくて快適に寝れるのです。
がしかし、幼稚園や小学生の低学年の時には布団の中で 兄貴と『あんか』の取り合いになり、「黙って寝なさい!!」と これまた、お袋に叱られてしまうのでした。 たまに袋の紐を締めるのが緩い時には、『あんか』が袋から少しはみ出て しまい、そこに足を付けて「アチッ!」と大騒ぎする時も。 (布団の中で異常に熱すぎる『あんか』の時もありました)
今でも“火バサミ”で真っ赤な豆炭を掴んで、大人が慎重に『あんか』 の中に入れる作業は、見ている子供達も緊張した面持ちで見ていた ものです・・・・・。
この”ボイラー”は時々「じょー!」と言う、何かをひねり出すような音を出して沸き始めるので、その音が出ると少しでも遠くへ逃げたものです。(よく妄想でボイラーの下の穴から”ピラニア”が出てきたらどうしよう!?などとも思っていました)

私の住んでいた地域は、産炭地なので家でも学校でも石炭が使われておりました。
家で使う石炭は昔は馬が運んできたのですが、私の時には小型のトラックが一軒につき一か月分の石炭を家の前に「ザーッ」と降ろしていきます。
石炭が来ると家の前を車が通れなくなるので、なるべく早めに石炭小屋っていう物置と併用された場所へ入れるのですが、冬などはブルーシートなどを掛けて雪にあたるのを保護したりします。
石炭小屋から一斗缶(いっとかん)に入れて家に運ぶのですが、冬は石炭が凍っていてツルハシで砕きながら持って行ったもんです。(重かったな~)
家で”くべる”石炭は比較的細かくて、一般的には商品に出来ないようなもでしたが、学校では少し大きめの燃やしても長持ちするような石炭でした。
雪合戦とかで雪玉の中に石炭なんかを入れて投げる反則技もあり、今から思うと非常に危険な行為でしたね・・・・・。(笑)
一度、親(おふくろ)の言うことを聞かなかったのか?何だかは忘れましたが、石炭小屋に閉じ込められてしまったこともあります。
真っ暗なんですね。しかも物置と違い石炭しかないし、石炭は黒いから尚更暗い。けれども強情な私は自分から出て行かないでジッと我慢をするんですが、当時一緒に住んでいたじいさんが「たかし、もう出て来なさい」と言うけど、私はかたくなに拒み続けていましたが、じいさんの言った一言で私は石炭小屋から転げ落ちるように出てきました。その時の一言が、「でっかいネズミが出てきて噛まれるぞ」でした。。。。。
昭和50年ごろになると木造の炭鉱長屋も改良住宅と言う(改めて良いと書きます)家に順次引越しが始まり、それと同時に家では石炭ストーブではなく灯油ストーブに変わって行きました。
石炭を入れる手間も灰汁(あく)を捨てる面倒くささも、煙突掃除をする煩わしからも開放されたし、そして何より子供達からすると親から叱られる時に「デレキかい!デレキ!」と鉄で出来きた、ストーブの中の石炭の燃えた塊を崩す役目のやつで追いかけられることがなくなりました。大人たちは生活的にはうんと楽になったし、子供達から見ると石炭入れや石炭運び、デレキ攻撃から開放されたので当時は良かったのですが、今から思うと本当に石炭ストーブは暖かく、また炭鉱の喜怒哀楽がいっぱい詰まった懐かしい想い出でした。
因みに、高校までは石炭ストーブでした。蒸発皿を乗せて乾燥を防ぐのですが、その蒸発皿に給食の時間に牛乳瓶を入れてホットミルクを作るのですが、たまに割れてしまう時もあり、そのような時には一瞬にしてお湯が白く濁って変な臭いが教室中に広まり今でも鼻に染み付いています。(笑)
あと、蒸発皿に水を足すのを忘れ焦げてしまうのですが、あん時の焦げた臭いは中々取れなく、真冬なのに窓と教室の戸を全開で空気を入れ替えたものです。
もう多分、余程のことがない限り石炭生活にはならないと思いますが、今でもあの黒い石炭とストーブは私の記憶の中では燃え尽きてはいません。。。。。
『塊炭飴』(かいたんあめ)今でも売ってます。